輝HIKARI新入職式特別企画:山本博司前参議院議員・金子代表理事対談
令和8年(2026年)4月、特定非営利活動法人(NPO法人)輝HIKARIの新入職式。そこでは、長年日本の障害福祉を牽引し、前年に参議院議員を勇退された山本博司氏と、同法人の金子訓隆代表理事による、魂の通った対談が行われました。

18年にわたる議員生活で「29本(現在は30本)」もの法律成立に関わった山本氏の足跡は、単なる政治的業績に留まりません。それは、重度の知的障害を持つ愛娘との生活から生まれた「一人の人間としての祈り」が、国家の仕組みを動かした記録でもあります。
以下に、その熱い対談の内容を深く掘り下げて要約します。
- 政治家・山本博司の原点:絶望から学んだ「人間主義」
山本氏の政治活動の根底には、常に「家族」という原点があります。36年前、次女の純子さんが2歳の時、重度の知的障害と自閉症であると告げられました。「一生治らない」という宣告。それは、まさに断崖絶壁から突き落とされるような絶望でした。
平凡なことこそが幸せである
当時は現在のような支援制度が未整備で、多動な娘から目を離せば命の危険がある過酷な日々でした。しかし、療育を通じてスプーンを使えるようになった、家族でファミレスに行けるようになったといった、小さな、しかし劇的な変化の中に、山本氏は「平凡なことこそが真の幸せである」と感じたそうです。
「自分を低くする」という哲学
ノーベル文学賞作家パール・バックが、障害を持つ我が子との生活を通じて「傲慢な自分を脱ぎ捨て、謙虚さを学んだ」と語ったように、山本氏もまた、娘を通じて「自分を低くすること(謙虚さ)」の大切さを学んだといいます。この「どこまでも現場に寄り添う人間主義」こそが、後に「現場第一主義の政治家」を生む土壌となりました。

- 18年間の軌跡:障害福祉を「国の屋台骨」へ
2007年の初当選以来、山本氏が歩んだ道は、日本の障害福祉の歴史そのものです。日本IBMで29年間培ったITの知見と、障害児の父としての視点。この二つが、具体的な政策として結実していきました。
予算と制度の拡充に貢献
山本氏が議員になった2006年当時、約6,000億円だった障害福祉関連予算は、2025年度には約7倍の4兆2,000億円へと増大しました。この数字は、単なる予算増ではなく、以下の劇的な社会変化を支えています。
*福祉サービス利用者数:約3倍(159万人超)
*関連施設数:約4倍(16万ヶ所)
*障害者雇用数:約2.5倍(70万人以上)
歴史に刻まれた30本の法律
山本氏は、議員時代から勇退後にかけて合計30本の法律成立・改正を主導しました。
*電話リレーサービス法:G7で初となる公的制度。聴覚障害者のコミュニケーションの壁を打破。
*障害者優先調達推進法:障害者就労施設の製品やサービスを国が優先的に購入する仕組み。
*高次脳機能障害者支援法:議員勇退後の令和5年12月、10年越しの悲願として成立。
*その他:虐待防止法、読書バリアフリー法、医療的ケア児支援法など、枚挙にいとまがありません。

- 「現場の声をカタチに」:コロナ禍での死闘と金子代表との絆
金子代表理事は、山本氏を「最も客観的に見てきた民間人の一人」と自負しています。二人の14年に及ぶ交流は、300回を超える活動と、25都道府県への同行に及びました。
財務省の黒塗り車が「マンションの一室」へ
2013年、財務大臣政務官という要職に就いていた山本氏は、就任早々に輝HIKARIが最初に立ち上げたマンションの一室である輝HIKARI志木を訪問しました。黒塗りの車から秘書官と降り立ち、現場の切実な声に耳を傾ける姿に、金子代表は「この人なら信頼できる」と確信したといいます。
コロナ禍、障害福祉の職員たちに特別報奨金を勝ち取る
厚生労働副大臣を務めていた2020年、コロナ禍の最前線で戦う福祉職員への支援が議論されました。当初、医師や看護師への手当が優先される中、山本氏は厚労省幹部に対し、「なぜ障害福祉に光が当たらないのか。現場を支えているのは彼らだ」と猛然と詰め寄りました。
その結果、福祉従事者一人あたり5万円の特別報奨金(非課税)を実現。この気迫あふれる交渉が、全国の現場を救ったのです。
- 第3の人生:デジタルで「工賃8万円」の壁を突破する
議員を勇退した後も、山本氏の歩みは止まりません。現在は日本財団のアドバイザーとして、「福祉×IT」による新たな就労支援モデルの構築に挑んでいます。

国立国会図書館のデジタル化プロジェクト
現在、就労継続支援B型の平均工賃は約2万4,000円と低水準です。これを打破するため、山本氏は国会図書館の蔵書4,000万冊をデジタル化する業務を、障害者就労施設が受託する仕組みを推進しています。
*目標工賃:月額8万円。
*内容:高度なスキャナー機器を使い、重度知的障害の方々もチームでデジタル化作業に携わる。
*現状:福岡や埼玉など全国13ヶ所で展開。徳島県では既に7?8万円の工賃を実現している施設も登場しています。
「できない」と決めつけているのは支援者側の思い込みではないか?と金子代表理事は、山本氏との行動の中で強く実感して、職員達に向けて話しました。新入職の職員たちに「利用者の可能性を信じる」というプロとしての覚悟を促しました。
- 政治の品格:世襲を排し、魂を次代へ
対談の終盤、公明党の立党精神についても触れられました。
*定年制の遵守:任期中に69歳を超えないというルールに基づき、潔く勇退。
*世襲の禁止:地盤や利権を身内に譲ることを厳禁し、クリーンな政治を貫く。
山本氏は、自身の「魂のバトン」を医師である原田大二郎氏へと託しました。人が変わっても、現場の声を吸い上げる「秘書チーム」や「政策の志」は確実に引き継がれています。
結びに代えて:新入職者へのエール
山本氏の話は、最後に会場に集まった新入職者たちへの深い感謝と期待で締めくくられました。
「皆さんが今、ここで働けているのは、単なる偶然ではありません。現場の声が法律を変え、予算を動かしてきた結果です。しかし、法律を作るだけでは不十分。その法律に命を吹き込み、一人ひとりの利用者に光を当てるのは、ここにいらっしやる現場に立つ皆さんです」
絶望から始まった一人の父親の挑戦は、18年の歳月を経て、日本の福祉の風景を塗り替えました。そして今、議員という肩書きを脱ぎ捨てた山本氏は、「生涯一、福祉のボランティア」として、再び現場へと戻ってきました。
「平凡な幸せ」を守るための戦いは、これからも形を変えて続いていきます。

娘さんへの情熱と介護と家族への想い
山本氏が、長女を育ててきた38年の経験は、想像を絶する過酷な日常と、そこから紡ぎ出された深い政治哲学に裏打ちされています。提供された資料に基づき、その経験と苦労の軌跡を以下にまとめます。

1.宣告の衝撃と絶望的な原点
「一生治らない」との宣告: 純子さんが2歳の時、重度の知的障害と自閉症であるとの診断を受けました。
断崖からの転落: 「一生治らない」という言葉は、山本氏にとって断崖絶壁から突き落とされたような絶望感をもたらしました。この時の経験が、後に「弱い立場の人々に光を当てたい」と願う政治家としての揺るぎない原点となりました。
2.24時間の緊張感と命の危険
片時も目を離せない多動: 純子さんは非常に多動で、外出時に少しでも手を離すとすぐに車道へ飛び込んでしまうため、常に命の危険と隣り合わせの生活でした。
家中の施錠と整理: 家の中でも勝手に出ていかないよう全ての鍵を閉め、何でも口に入れてしまうため危険なものを一切置かないよう、細心の注意を払い続ける日々でした。
併発する困難: 重度の知的障害と自閉症に加え、てんかん、睡眠障害も抱えており、育児の負担は極めて重いものでした。
3.社会的支援のない孤独な闘い
預け先のない時代: 30数年前は今のような支援制度が整っておらず、障害児を預ける場所もほとんどありませんでした。山本氏が仕事に励む傍ら、妻が3人の子供を育てつつ、一人で重度の障害を持つ娘を診るという極限状態にありました。
「当たり前」の喪失: 家族でファミリーレストランに入ることすら叶わないほど、周囲の理解や環境が整っていませんでした。帰省の新幹線で泣き叫ぶ娘を抱え、実家の近くで娘が車道に飛び出した際には「死んでしまった」と覚悟したほどの恐怖を何度も経験しました。
- 苦労から得た「人間主義」の哲学
平凡な幸せへの感謝: 療育を重ね、娘がスプーンを持って食事ができるようになり、初めてファミレスに行けた時、山本氏は「平凡なことこそが幸せなんだ」と痛感しました。この感謝の心が彼の政治信条となっています。
「自分を低くする」謙虚さ: 優秀な作家パール・バックが障害を持つ娘を通じて傲慢さを捨てたように、山本氏もまた、娘を通じて支えてくれる人々への感謝と、謙虚に「自分を低くする」ことの大切さを学びました。

山本氏のこうした個人的な苦労は、単なる思い出ではありません。現場の切実な声を国政に届け、障害福祉予算を18年間で約7倍(約6,000億円から4兆2,000億円)へと拡充させ、30本もの法律を成立・改正させるという、日本全体の福祉改革を動かす強大なエネルギーの源泉となったのです。



