ニュンベルク綱領とヘルシンキ宣言(2)
今回のコラムは前回のコラムにつづいて第2回目となります。
今回の内容はタイトルのとおり、ニュンベルク綱領とヘルシンキ宣言についてですが、ニュンベルク綱領について伝えます。
ニュンベルク綱領はニュンベルク裁判が行われたものに関連し、作られた綱領です。
ニュンベルク裁判は、戦勝国のフランス・イギリス・アメリカ・ソ連が敗戦国ドイツを裁いた裁判となりますが、これは戦勝国のパフォーマンスということもあり、様々な意見がありますが、この中で、ニュンベルク医療裁判について着目します。
ニュンベルク医療裁判は、ナチスドイツが戦時中に行った、人体実験に伴う罪の裁判です。
以下の文章の第一部の第三章は「強制収容所における非人道的人体実験」についての部分となりますが、この人体実験にはかなりの障害者が含まれているということです。

Wikipediaより
ニュンベルク綱領:その歴史的淵源、法的意義、そして現代生命倫理への永続的影響に関する包括的分析
序論:医学倫理の分水嶺
ニュンベルク綱領は、単なる歴史的文書ではない。それは、第三帝国時代における医学の前代未聞の倒錯から生まれ、現代の研究倫理の礎石となったものである。この綱領は、科学的探究と人間の尊厳との間に、決して越えてはならない恒久的な一線を画した。本報告書は、ニュルンベルク綱領が、ナチスの非人道的な人体実験という歴史的深淵、ニュルンベルクにおける法的な清算、綱領が定める詳細な諸原則、その後の倫理規範への進化、そして21世紀におけるその継続的かつ決定的な妥当性を通じて、いかにして医学倫理の分水嶺となったかを論証するものである。
本報告書は、まず綱領が生まれるに至った歴史的背景、すなわちナチス・ドイツにおけるイデオロギー的倒錯を分析する。次に、綱領を直接生み出すことになったニュルンベルク医事裁判の法的枠組みと、そこで提示された10原則の詳細な内容を検証する。さらに、ヘルシンキ宣言やベルモント・レポートといった後続の倫理指針への発展を追い、日本を含む各国の規制に与えた影響を考察する。最後に、ゲノム編集、人工知能(AI)、そしてパンデミックといった現代の課題に直面する中で、ニュルンベルク綱領の原則がいかにしてその重要性を保持し続けているかを論じ、国際法におけるその地位を明確にすることで、その永続的な遺産を明らかにする。
第1部:歴史的背景 ― 第三帝国における医学の倒錯
第1章:イデオロギーの根源 ― 人種衛生学と優生思想
ナチス・ドイツによる強制収容所での残虐な人体実験は、孤立した狂気の産物ではなく、医学そのものを国家政策の道具へと変質させた「人種衛生学」(Rassenhygiene)という疑似科学的イデオロギーの論理的帰結であった。この思想は、ダーウィンの進化論を社会に歪めて適用した社会ダーウィニズムに根差し、ドイツ民族(Volk)を生物学的な集団とみなし、その「遺伝的健全性」を維持・向上させることを至上命題とした。これにより、伝統的に個人の治癒を目的としてきた医学は、「民族全体の健康」という集団的目標に奉仕する機関へとその役割を転換させられた。
このイデオロギー的転換は、「健康は義務である」「汝の身体は総統に属する」といったスローガンに象徴されるように、個人の権利を民族という架空の共同体の利益に従属させることを正当化した。この思想がもたらした悲劇の連鎖は、一つの「滑りやすい坂道」として理解することができる。第一段階は、このイデオロギーの法制化であった。1933年7月14日に制定された「遺伝病子孫予防法」は、その最も初期の、そして体系的な現れである。この法律に基づき、精神疾患、遺伝性疾患、慢性アルコール依存症などを持つとされた約40万人のドイツ国民が、本人の同意なく強制的に断種手術を受けさせられた 。これにより、国家が「公共の福祉」や「民族の純化」の名の下に、個人の身体の最も根源的な自己決定権を侵害するという前例が確立された。
このイデオロギーは、医学界や科学界の多くの権威によって支持され、大学の講義や公的なプロパガンダを通じて広く浸透した。人種衛生学は、ユダヤ人、ロマ(ジプシー)、スラブ人などを「劣等人種」と断じ、ドイツ民族の「生殖質」(Erbgut)を汚染する脅威と見なした。この思想は、後の迫害と絶滅政策に「科学的」な装いを与え、医師や科学者が自らの行為を、個人の救済ではなく民族の浄化という、より高次の目的のための「治療」であると自己正当化する道を開いたのである。
第2章:「安楽死」計画(T4作戦)― 殺害の医療化
イデオロギーの法制化から次の段階、すなわち「生きるに値しない生命」(lebensunwertes Leben)の積極的な抹殺へと進んだのが、通称「T4作戦」として知られる「安楽死」計画であった。1939年に開始されたこの秘密作戦では、ドイツおよびオーストリアの精神病院や療養施設に収容されていた、身体的・精神的障害を持つ子どもや成人が、医師の判断によって組織的に殺害された。当初は薬物の注射が用いられたが、やがて効率化のために一酸化炭素ガスを用いたガス室が開発・設置された。これは、後のホロコーストで用いられる大量虐殺技術の実験場となった。
この計画は、医学が殺人の手段として体系的に利用された点で画期的であった。患者のカルテを審査し、殺害対象者を選別したのは、紛れもない医師たちであった。彼らは、この行為を重度の障害に苦しむ患者を「慈悲の死」によって解放する医療行為であると偽り、また、国家の経済的負担を軽減する優生学的措置であると正当化した。ニュルンベルク医事裁判で被告となったカール・ブラントは、ヒトラーの侍医であり、この計画の最高責任者の一人であったが、彼は法廷で自らの行為について「殺人の意図はなかった」「心の底から安楽死は正しいとの確信を抱いていた」と述べ、良心の呵責ではなく、医師としての責任感から行動したと主張した。この発言は、伝統的なヒポクラテスの誓いが完全に放棄され、個人の生命の尊厳よりも国家が定義する「価値」が優先されるという、恐るべき道徳的倒錯が医師たちの間でいかに深く根付いていたかを物語っている。T4作戦は、約7万人以上の命を奪ったと推定されており、医療倫理の完全な崩壊を示すとともに、強制収容所におけるさらなる残虐行為への心理的・技術的な準備段階となった。
第3章:強制収容所における非人道的人体実験
人種衛生学イデオロギーとT4作戦によって倫理的基盤が完全に破壊された結果、ナチス・ドイツの医師たちは、強制収容所の囚人たちを、もはや人間ではなく、自由に利用できる「実験材料」と見なすようになった。彼らは、軍事的・科学的関心の名の下に、想像を絶する非人道的な人体実験を繰り広げた。これらの実験こそが、ニュンベルク綱領の策定を絶対的に必要とした直接の原因である。
主な実験には以下のようなものがあった。
- 低体温実験:ドイツ空軍の利益のために、ダッハウ強制収容所などで、囚人を氷水の入った水槽に何時間も浸し、凍死に至る過程や蘇生方法を研究した。
- 海水飲用実験:同じくダッハウで、遭難したパイロットの生存可能性を探るため、囚人に化学処理された海水のみを飲ませ、脱水症状による死に至るまでの身体的変化を観察した。
- 断種実験:アウシュヴィッツなどで、カール・クラウベルクやホルスト・シューマンといった医師が、ユダヤ人やロマの男女に対し、X線照射、子宮への腐食性薬剤の注入、外科手術といった手段を用いて、効率的な大量断種の方法を研究した。被験者は激しい苦痛、重度の火傷、そしてしばしば死に至った。
- 感染症・毒物実験:ブーヘンヴァルトやナッツヴァイラーなどの収容所で、囚人に発疹チフス、マラリア、黄疸などの病原体を意図的に感染させ、ワクチンの効果や病気の進行を研究した。また、様々な毒物の効果を試すために、囚人に毒物を注射したり、銃創に毒を塗り込んだりする実験も行われた。
- 双子研究:アウシュヴィッツのヨーゼフ・メンゲレ医師による実験は特に悪名高い。彼は双子の囚人に対し、遺伝的特徴を比較研究するため、様々な薬剤の注射、病原体の感染、そして最終的には双子を同時に殺害して内臓を比較解剖するという残虐行為を繰り返した。
- その他:この他にも、高高度における気圧低下の影響を調べるための減圧実験、子宮頸がんの進行を研究するために女性囚人の子宮頸部を摘出する実験など、枚挙に暇がない 。
ここで注目すべきは、ナチス・ドイツの倫理観の持つ著しい矛盾である。医事裁判の検察側が指摘したように、1933年に先進的な動物保護法を制定したナチス政権は、動物に対しては人道的配慮を義務付けながら、人間に対しては動物以下の扱いをしていた。これは単なる偽善ではなく、彼らのイデオロギーの核心を示すものである。彼らの道徳的配慮の輪は、価値があると見なされた「アーリア人」や一部の動物に限定されており、ユダヤ人やその他の「劣等」とされた人々は、その輪の外に置かれ、人格を完全に剥奪された「モノ」として扱われた。この選別的な倫理こそが、科学の名の下に行われた残虐行為を可能にした根源的な要因であった。
第2部:ニュルンベルク医事裁判と綱領の誕生
第1章:国際軍事法廷と「医事裁判」
第二次世界大戦後、連合国はナチス・ドイツの指導者たちが犯した前例のない犯罪を裁くため、新たな法的枠組みを構築した。その中心となったのが、ドイツのニュルンベルクで開かれた国際軍事法廷(International Military Tribunal, IMT)である。この法廷では、ヘルマン・ゲーリングをはじめとするナチスの最高幹部が「平和に対する罪」「戦争犯罪」「人道に対する罪」で裁かれた。
主要な戦争犯罪人の裁判に続き、アメリカは自らの占領地域で、より下位の指導者たちを裁くための一連の裁判(「継続ニュルンベルク裁判」)を主催した。その第一号として1946年12月9日に開廷されたのが、通称「医事裁判」(The Doctors' Trial)、正式名称「合衆国 対 カール・ブラントら」(United States of America v. Karl Brandt et al.)であった。この裁判では、20人の医師と3人の親衛隊(SS)幹部が、前述の非人道的な人体実験やT4作戦への関与を理由に、戦争犯罪と人道に対する罪で起訴された。
この裁判の重要性は、単に個人の罪を問うことに留まらなかった。アメリカの首席検事ロバート・ジャクソンが主要裁判で述べたように、「我々がこれらの被告人を裁くこの記録によって、歴史は我々を裁くであろう」という精神が底流にあった。すなわち、復讐のための「勝者の裁き」ではなく、法の支配と公正な手続きに基づき、未来に向けた普遍的な法的・倫理的原則を確立することが目指されたのである。
第2章:法廷での攻防 ― 法的真空の主張
医事裁判において、被告側弁護団は巧妙かつ深刻な法的問題を提起した。彼らの中心的な弁護戦略は、被告医師たちが行った実験は、戦前のドイツやアメリカの研究者たちが行っていた人体実験と本質的に異ならず、また、当時、合法的な実験と違法な実験を区別するような、明文化された国際法や倫理規範は存在しなかった、というものであった。
この「法的真空」の主張は、検察側にとって大きな挑戦であった。なぜなら、当時、人体実験を直接規制する包括的な国際条約は確かに存在しなかったからである。被告側は、自らの行為が既存の国内法や国際法に明確に違反するものではない以上、事後法によって裁かれるべきではないと主張した。この弁護論がもし認められれば、ナチスの医師たちの行為は、道徳的には非難されるべきであっても、法的には無罪放免となる可能性があった。この危機感が、新たな倫理規範の明文化を促す直接的な引き金となった。
第3章:判決と綱領の起草 ― 必要性からの創造
被告側の「法的真空」論に対抗するため、検察側は専門家証人として、アメリカ人医師のレオ・アレグザンダーとアンドリュー・アイヴィーを招聘した 。彼らは、被告らの行為がヒポクラテスの誓いをはじめとする医学の伝統的倫理に反するものであると証言すると同時に、合法的な医学研究の条件を明確にする必要性を痛感した。特にアレグザンダー医師は、このままでは被告らの主張が一定の説得力を持ってしまうことを危惧し、1947年4月、許容される医学研究を定義するための6つの要点をまとめた覚書を裁判所に提出した 。
この覚書が、ニュルンベルク綱領の直接の原型となった。裁判官たちは、被告側の主張を退け、個人の人権を蹂躙する行為は、たとえ特定の法律に違反していなくても「人道に対する罪」として罰せられるべきであるとの立場をとった。そして、1947年8月20日に下された判決文の中で、被告らの有罪・無罪を宣告する前に、「許容される医学実験」(Permissible Medical Experiments)と題されたセクションを設けた。このセクションで、裁判官たちはアレグザンダーの6つの要点を拡張・修正し、10か条の原則として体系化した。これが「ニュルンベルク綱領」として知られるようになったものである。
しかし、この綱領の成立史には、より複雑な背景が存在する。被告たちが主張した「法的真空」は、実は事実ではなかった。ナチスが政権を掌握する以前のヴァイマル共和政下のドイツでは、1931年に「新治療法と人体実験に関する指針」という、当時としては極めて先進的な倫理指針が存在していた。この指針は、インフォームド・コンセントの重要性を強調し、治療的研究と非治療的研究を明確に区別するなど、ニュルンベルク綱領の多くの要素を先取りしていた。驚くべきことに、医事裁判の被告たちはこの1931年指針の存在を知っており、自分たちの行為をこの指針に照らして判断するよう求めたが、検察側はこれを無視したとされる。
さらに、1931年指針とニュルンベルク綱領を比較すると、その類似性は「不気味なほど」であり、綱領の10原則のうち6つが、この忘れられたドイツの指針に由来していることが指摘されている。この事実は、ニュルンベルク綱領が全くの無から創造されたのではなく、ナチス自身が踏みにじったドイツ国内の倫理的伝統の上に築かれたものであることを示唆している。綱領の起草者たちが1931年指針を参照したにもかかわらず、それに言及しなかった理由は不明だが、この歴史的文脈は、綱領の成立をより深く、そして批判的に理解するために不可欠な視点である。
第3部:ニュルンベルク綱領10原則の詳細な分析
ニュルンベルク綱領は、その後のすべての研究倫理規範の基礎となる10の簡潔かつ強力な原則を打ち立てた。以下にその原文(英語)と和訳を示し、各原則がナチスの残虐行為にどう対峙し、どのような普遍的価値を確立したかを詳述する。
表1:ニュルンベルク綱領(1947年)
原文 (English) | 和訳 |
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1. The voluntary consent of the human subject is absolutely essential. This means that the person involved should have legal capacity to give consent; should be so situated as to be able to exercise free power of choice, without the intervention of any element of force, fraud, deceit, duress, over-reaching, or other ulterior form of constraint or coercion; and should have sufficient knowledge and comprehension of the elements of the subject matter involved as to enable him to make an understanding and enlightened decision. This latter element requires that before the acceptance of an affirmative decision by the experimental subject there should be made known to him the nature, duration, and purpose of the experiment; the method and means by which it is to be conducted; all inconveniences and hazards reasonably to be expected; and the effects upon his health or person which may possibly come from his participation in the experiment. The duty and responsibility for ascertaining the quality of the consent rests upon each individual who initiates, directs or engages in the experiment. It is a personal duty and responsibility which may not be delegated to another with impunity. | 1. 被験者の自発的な同意は絶対に不可欠である。このことは、被験者が、同意を与える法的な能力を持つべきこと、圧力や詐欺、欺瞞、脅迫、陰謀、その他の隠された強制や威圧による干渉を少しも受けることなく、自由な選択権を行使することのできる状況に置かれるべきこと、よく理解し納得した上で意思決定を行えるように、関係する内容について十分な知識と理解力を有するべきことを意味する。後者の要件を満たすためには、被験者から肯定的な意思決定を受ける前に、実験の性質、期間、目的、実施の方法と手段、起こっても不思議ではないあらゆる不都合と危険性、実験に参加することによって生ずる可能性のある健康や人格への影響を、被験者に知らせる必要がある。同意の質を保証する義務と責任は、実験を発案したり、指揮したり、従事したりする各々の個人にある。それは、免れて他人任せにはできない個人的な義務であり責任である。 |
2. The experiment should be such as to yield fruitful results for the good of society, unprocurable by other methods or means of study, and not random and unnecessary in nature. | 2. 実験は、社会の福利のために実り多い結果を生むとともに、他の方法や手段では行えないものであるべきであり、無計画あるいは無駄に行うべきではない。 |
3. The experiment should be so designed and based on the results of animal experimentation and a knowledge of the natural history of the disease or other problem under study that the anticipated results will justify the performance of the experiment. | 3. 予想される結果によって実験の遂行が正当化されるように、実験は念入りに計画され、動物実験の結果および研究中の疾患やその他の問題に関する基本的な知識に基づいて行われるべきである。 |
4. The experiment should be so conducted as to avoid all unnecessary physical and mental suffering and injury. | 4. 実験は、あらゆる不必要な身体的、精神的な苦痛や傷害を避けて行われるべきである。 |
5. No experiment should be conducted where there is an a priori reason to believe that death or disabling injury will occur; except, perhaps, in those experiments where the experimental physicians also serve as subjects. | 5. 死亡や障害を引き起こすことがあらかじめ予想される場合、実験は行うべきではない。ただし、実験する医師自身も被験者となる実験の場合は、例外としてよいかも知れない。 |
6. The degree of risk to be taken should never exceed that determined by the humanitarian importance of the problem to be solved by the experiment. | 6. 実験に含まれる危険性の度合いは、その実験により解決される問題の人道上の重大性を決して上回るべきではない。 |
7. Proper preparations should be made and adequate facilities provided to protect the experimental subject against even remote possibilities of injury, disability, or death. | 7. 傷害や障害、あるいは死をもたらす僅かな可能性からも被験者を保護するため、周到な準備がなされ、適切な設備が整えられるべきである。 |
8. The experiment should be conducted only by scientifically qualified persons. The highest degree of skill and care should be required through all stages of the experiment of those who conduct or engage in the experiment. | 8. 実験は、科学的有資格者によってのみ行われるべきである。実験を行う者、あるいは実験に従事する者には、実験の全段階を通じて、最高度の技術と注意が求められるべきである。 |
9. During the course of the experiment the human subject should be at liberty to bring the experiment to an end if he has reached the physical or mental state where continuation of the experiment seems to him to be impossible. | 9. 実験の進行中に、実験の続行が耐えられないと思われる程の身体的あるいは精神的な状態に至った場合、被験者は、実験を中止させる自由を有するべきである。 |
10. During the course of the experiment the scientist in charge must be prepared to terminate the experiment at any stage, if he has probable cause to believe, in the exercise of the good faith, superior skill and careful judgment required of him, that a continuation of the experiment is likely to result in injury, disability, or death to the experimental subject. | 10. 実験の進行中に、責任ある立場の科学者は、彼に求められた誠実さ、優れた技能、注意深い判断力を行使する中で、実験の継続が、傷害や障害、あるいは死を被験者にもたらしそうだと考えるに足る理由が生じた場合、いつでも実験を中止する心構えでいなければならない。 |
原則1:被験者の自発的同意
これは綱領の礎石であり、最も長く、詳細に記述されている。ナチスの実験が、囚人という自由を完全に剥奪された人々に対して、いかなる同意もなく行われたことへの直接的な応答である。「絶対に不可欠である」(absolutely essential)という言葉は、いかなる例外も認めないという強い意志を示す。この原則は、現代のインフォームド・コンセントの概念を確立した。その要件は三つに大別できる。第一に、同意を与えるための法的能力と、強制や欺瞞のない「自由な選択権」。第二に、実験の目的、方法、リスク、利益などに関する「十分な知識と理解」。第三に、この質の高い同意を得る責任は、研究者個人にあり、他者に委任できないという「個人的な義務」である。これは、組織や上官の命令を言い訳にすることを許さない、厳格な個人責任の原則を打ち立てたものである。
原則2・3:社会的利益と科学的妥当性
実験は「社会の福利のために実り多い結果」をもたらすものでなければならず、「無計画あるいは無駄」であってはならないと規定する。さらに、動物実験や疾患に関する既存の知識に基づき、科学的に合理的な計画が立てられるべきであるとする。これは、メンゲレの双子研究のように、しばしば科学的価値が疑わしく、単なる好奇心や残虐性から行われた実験や、軍事的目的のために無計画に行われた実験を断罪するものである。科学の進歩という大義名分も、その研究が社会にとって真に有益であり、かつ科学的に妥当である場合にのみ許容されるという、研究の正当性に関する厳格な基準を設けた。
原則4・5:苦痛の回避と危害の事前禁止
「あらゆる不必要な身体的、精神的な苦痛や傷害」を避けることを義務付け、さらに「死亡や障害を引き起こすことがあらかじめ予想される場合、実験は行うべきではない」と断言する。これは、低体温実験や高高度実験、毒物実験など、被験者の死や重篤な傷害が避けられない、あるいは目的そのものであった実験を明確に禁止するものである。唯一の例外として「実験する医師自身も被験者となる」場合が示唆されているが、これは自己犠牲の精神に基づく極めて限定的な状況を想定しており、他者を犠牲にすることの非倫理性を際立たせる。
原則6:リスクと利益の比較考量
実験に伴う「危険性の度合いは、その実験により解決される問題の人道上の重大性を決して上回るべきではない」と規定する。これは、研究倫理におけるリスク・ベネフィット分析という基本的な考え方を初めて明文化したものである。いかに人道的に重要な研究であっても、被験者が負うリスクには上限があり、そのバランスは厳密に評価されなければならない。これにより、研究の目的のために個人の福祉が無限に犠牲にされることを防ぐ歯止めがかけられた。
原則7・8:適切な準備と有資格者による実施
被験者を「傷害や障害、あるいは死をもたらす僅かな可能性からも保護するため、周到な準備がなされ、適切な設備が整えられるべき」とし、実験は「科学的有資格者によってのみ行われるべき」と定める。これは、劣悪な環境で、しばしば資格の有無が疑わしい人物によって行われた収容所の実験とは対極にある、研究実施における専門性と安全確保の基準を要求するものである。
原則9・10:被験者の離脱権と研究者の中止義務
被験者には、いつでも「実験を中止させる自由」が保障されなければならない。同時に、研究者には、実験の継続が被験者に危害を及ぼす可能性があると判断した場合、「いつでも実験を中止する心構え」が義務付けられる。この二つの原則は、研究プロセスにおける被験者の優位性を確立するものである。研究の完遂という目的よりも、被験者個人の尊厳、安全、そして自己決定権が常に優先されることを明確にした。これにより、被験者は研究の客体ではなく、自律した主体として位置づけられることになった。
第4部:綱領の遺産と研究倫理の進化
第1章:綱領の限界と初期の受容
ニュルンベルク綱領は、その画期的な内容にもかかわらず、直ちに世界中の医学界で受け入れられたわけではなかった。一部の西側諸国の医師たちの間では、「あれは野蛮人(ナチス)のための規範であり、文明的な医師には不要だ」という冷ややかな見方も存在した 。この初期の抵抗感に加え、綱領自体が持ついくつかの内在的な限界が、その後の倫理規範のさらなる発展を促すことになった。
綱領の主な限界点は以下の通りである。
- 非治療的研究への偏り:綱領は、健康な囚人に対して行われた、治療を目的としない純粋な「実験」を断罪するために書かれた側面が強い。そのため、患者自身の治療法を開発するために行われる、より一般的な「治療的研究(臨床研究)」における複雑な倫理的ジレンマに十分に対応していなかった。例えば、新しい治療法を試す患者は、研究者である医師と治療関係にあるため、同意が真に自由であるかという問題が生じるが、綱領はこの点について詳細な指針を与えていない。
- 同意能力の欠如した被験者の問題:綱領は「被験者の自発的な同意」を「絶対に不可欠」としたため、子どもや認知症患者、重度の精神障害者など、自ら有効な同意を与える能力のない人々を対象とする研究の道を事実上閉ざしてしまった。これらの人々を対象とする疾患の治療法を開発するためには、彼ら自身を対象とした研究が不可欠であるが、綱領の厳格な規定ではそれが不可能であった。
- 規定の単純さ:綱領の10原則は、その力強さの半面、今日の複雑な臨床試験デザイン(例:無作為化比較試験、プラセボ対照試験)に対応するにはあまりにもシンプルすぎた。研究倫理の具体的な手続きや、研究計画を審査する仕組みについては言及されていなかった。
これらの限界は、ニュルンベルク綱領が研究倫理の「終わり」ではなく「始まり」であったことを示している。その精神を引き継ぎつつ、より現実的で包括的な規範を構築する必要性が認識されるようになった。
第2章:ヘルシンキ宣言への発展 ― 普遍的規範の探求
ニュルンベルク綱領が提示した課題に応え、より普遍的な研究倫理規範を構築する役割を担ったのが、1947年に設立された世界医師会(World Medical Association, WMA)であった。WMAは、ニュルンベルク綱領の精神を基盤としながら、医師が日常的に直面する臨床研究の現実に即した倫理綱領の策定に着手した。数年間の検討を経て、1964年の第18回WMA総会(フィンランド・ヘルシンキ)において、「ヒトを対象とする医学研究の倫理的原則」、すなわち「ヘルシンキ宣言」が採択された。
ヘルシンキ宣言は、ニュルンベルク綱領からいくつかの重要な点で発展を遂げた。
- 治療的研究への適用:宣言は、研究を「治療的配慮と結びついた医学研究」と「純粋に科学的な目的のための非治療的医学研究」に明確に分け、両方に対する倫理原則を示した。これにより、綱領が十分カバーしていなかった臨床研究の領域が、初めて国際的な倫理規範の対象となった 。
- 代理同意(インフォームド・コンセントの緩和):ニュルンベルク綱領の最も大きな限界点であった同意能力のない被験者の問題を解決するため、ヘルシンキ宣言は「代理人(legal guardian)」による同意(代理同意)の概念を導入した。これにより、小児や同意能力を欠く成人を対象とした、倫理的に正当な研究の実施が可能となった。
- 独立した委員会による審査:宣言は、研究計画が「独立した委員会」によって審査されるべきであると規定した。これは、研究の倫理的妥当性を研究者個人の判断だけに委ねるのではなく、第三者による客観的な審査を義務付けるものであり、現代の治験審査委員会(IRB)や倫理審査委員会の制度の基礎となった。
ヘルシンキ宣言は、ニュルンベルク綱領の理想主義的な厳格さを、臨床現場の現実に対応可能な、より実践的な規範へと進化させた。その後、宣言は医学の進歩や社会の変化に応じて何度も改訂が重ねられ、今日に至るまで、人を対象とする医学研究における最も権威ある国際的倫理指針として世界中で参照されている。
第3章:ベルモント・レポートによる原則の体系化
ヘルシンキ宣言が国際的な基準となる一方で、アメリカ国内では、ニュルンベルクの教訓が必ずしも浸透していなかった。その象徴的な事件が、1932年から1972年にかけて行われた「タスキギー梅毒研究」である。この研究では、アフリカ系アメリカ人の貧しい男性たちが、梅毒の自然史を観察するという目的のために、有効な治療法(ペニシリン)が存在するにもかかわらず、意図的に治療を受けさせられなかった。この非人道的な研究が公になったことは、アメリカ社会に大きな衝撃を与え、研究倫理に関する連邦レベルでの包括的な見直しの機運を高めた。
この反省から、1974年に「生物医学および行動研究における被験者保護のための国家委員会」が設立され、その成果として1979年に「ベルモント・レポート」が公表された。このレポートは、ニュルンベルク綱領やヘルシンキ宣言が示した個別の「ルール」から一歩進んで、それらの根底にある、より普遍的な「倫理原則」を体系的に抽出しようと試みた点で画期的であった。
このアプローチは、単なる規則の羅列から、倫理的思考の枠組みそのものを提示するという哲学的な転換を意味する。タスキギー事件は、同意やリスクの問題だけでなく、特定の社会的弱者が不当に研究の負担を負わされるという「正義」の問題を浮き彫りにした。これに対応するため、ベルモント・レポートは、人を対象とする研究が準拠すべき三つの基本原則を提唱した。
- 人格の尊重(Respect for Persons):個人を自律した存在として扱い、その自己決定権を尊重することを求める。これはインフォームド・コンセントの原則を包含する。また、子どもや囚人など、自律性が損なわれている人々は特別な保護の対象としなければならない。
- 善行(Beneficence):研究参加者に対する危害を避け、リスクを最小化し、利益を最大化するという義務を研究者に課す。これはリスク・ベネフィット分析の原則に相当する。
- 正義(Justice):研究から生じる利益と負担が、社会の中で公正に分配されるべきであると要求する。特定の集団(例:貧困層、少数民族)が不当に研究の負担を負わされたり、利益から排除されたりしてはならない。
この三原則の枠組みは、その後の米国の連邦規則(コモン・ルール)の基礎となり、世界中の研究倫理指針に多大な影響を与えた。ベルモント・レポートは、ニュルンベルク綱領が打ち立てた個人の尊厳の保護という理念を、より洗練された哲学的な基盤の上に再構築し、新たな倫理的課題にも対応可能な、柔軟かつ強力な分析ツールを提供したのである。
表2:主要な研究倫理指針の進化
第4章:日本における受容と展開
ニュルンベルク綱領からヘルシンキ宣言、ベルモント・レポートへと続く国際的な研究倫理の潮流は、日本の国内規制にも大きな影響を与えてきた。戦後、日本においても医学研究の倫理的基盤を整備する必要性が認識され、国際的な規範を参照しつつ、独自の倫理指針が策定されてきた。
現在、日本の生命科学・医学系研究を包括的に規律しているのは、文部科学省、厚生労働省、経済産業省が共同で策定した「人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針」である(2021年施行、その後改定)。この指針は、それまで別々に存在していた「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」と「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」を統合したものであり、現代の研究の多様性に対応する統一的な枠組みを提供している。
この指針には、ニュルンベルク綱領以来の基本原則が明確に受け継がれている。
- 基本方針:指針の第1章では、「人間の尊厳及び人権が守られ、研究の適正な推進が図られるようにすること」を目的とし、そのための基本方針として「研究対象者への事前の十分な説明を行うとともに、自由な意思に基づく同意を得ること」(インフォームド・コンセント)や、「社会的に弱い立場にある者への特別な配慮をすること」(弱者保護)が明記されている。これは、ニュルンベルク綱領の核心である個人の尊厳と自己決定権の尊重を、日本の規制の根幹に据えるものである。
- インフォームド・コンセント:指針は、研究実施にあたって原則としてインフォームド・コンセントを受けることを義務付けており、その手続きや説明事項について詳細な規定を設けている。同意の撤回の自由も保障されており、ニュルンベルク綱領第1条および第9条の精神が具体化されている。
- 弱者保護:同意能力が十分でない未成年者や成年者については、代諾者からインフォームド・コンセントを受ける手続きが定められている。特に、未成年者であっても理解力に応じて説明を行い、賛意(インフォームド・アセント)を得るよう努めるべきとする規定は、ヘルシンキ宣言以降に発展した、弱者の人格を最大限尊重しようとする考え方を反映している。
- 倫理審査委員会:全ての研究計画は、独立した倫理審査委員会の審査を受けることが義務付けられており、ヘルシンキ宣言が導入した第三者による監督メカニズムが制度化されている。
このように、日本の現行の倫理指針は、ニュルンベルク綱領を源流とする国際的な倫理規範の歴史的発展の集大成として位置づけることができ、その基本理念を国内の研究現場で実践するための具体的な法的・手続き的枠組みを提供している。
第5部:21世紀におけるニュルンベルク綱領 ― 新たな倫理的挑戦
ニュルンベルク綱領が確立した原則は、半世紀以上を経た今日においてもその輝きを失っていない。しかし、ゲノム編集、人工知能(AI)、そして世界的なパンデミックといった21世紀の科学技術と社会状況は、綱領の古典的な解釈に新たな、そして深刻な挑戦を突きつけている。
第1章:ゲノム編集と遺伝情報
ゲノム科学の急速な発展は、インフォームド・コンセントや個人のプライバシーに関する従来の考え方を根底から揺さぶっている。
- 予見不可能な情報とインフォームド・コンセント:ニュルンベルク綱領第1条は、被験者が実験の「性質、期間、目的」について「十分な知識と理解」を持つことを要求する。しかし、ゲノム解析は、同意時点では予期しなかった将来の疾患リスクや、未知の遺伝的関連性など、膨大な量の予見不可能な情報を生み出す可能性がある。被験者は、将来明らかにされるかもしれない全ての情報について、事前に「十分な知識」を持つことは不可能である。これは、インフォームド・コンセントの概念そのものに根本的な問いを投げかける。
- 個人を超えた影響:個人の遺伝情報は、血縁者とも共有されているため、その解析結果は家族や、場合によっては特定の民族集団全体に影響を及ぼす可能性がある。ニュルンベルク綱領が想定していたのは、実験による影響が被験者個人に限定される状況であった。しかし、ゲノム研究においては、一個人の同意が、同意を与えていない他者のプライバシーや利益を左右しうるという新たな倫理的ジレンマが生じる。
- 生殖細胞系列のゲノム編集:精子、卵子、受精卵といった生殖細胞系列にゲノム編集を施し、その遺伝的改変が子孫に受け継がれるようにする技術は、特に深刻な倫理的問題を提起する。これは、将来世代の人間の遺伝的構成に恒久的な変更を加えることであり、「デザイナーベビー」の誕生や優生思想の再来につながる危険性をはらんでいる。このような介入は、ニュルンベルク綱領第5条が禁じる「障害を引き起こす」行為に該当する可能性があり、また、まだ生まれていない将来世代からはいかなる形でも同意を得ることができないため、綱領の根幹を揺るがす挑戦となる。
第2章:パンデミックと緊急下の研究
COVID-19の世界的大流行は、平時の研究倫理が、公衆衛生上の危機という極限状況においていかに試されるかを白日の下に晒した。迅速なワクチン・治療薬開発という社会的要請と、個々の被験者の権利保護という倫理的要請との間で、激しい緊張関係が生じた。
- プラセボ対照試験のジレンマ:科学的に最も信頼性の高いエビデンスを得るためには、新薬を偽薬(プラセボ)と比較する無作為化比較試験が標準とされる。しかし、パンデミックの最中に、有効性が期待されるワクチンや治療薬が一つでも登場した場合、他の試験で被験者にプラセボを投与し続けることは倫理的に許されるのかという深刻な問題が生じる。これは、被験者に最善の治療を提供するという医師の倫理的義務と、社会全体の利益のために厳密な科学的データを求める研究者の責務との間の根源的な対立である 。
- 緊急使用承認と科学的厳密性:公衆衛生上の危機に対応するため、多くの国で、最終的な有効性の証明を待たずに、暫定的なデータに基づいてワクチンや治療薬の使用を認める「緊急使用承認」制度が導入された。この措置は多くの命を救う一方で、ニュルンベルク綱領第2条および第3条が要求する「実り多い結果」と「念入りな計画」という科学的厳密性の原則を、緊急性という名の下に緩和する危険性をはらむ。
- 危機的状況におけるインフォームド・コンセント:生命の危機に瀕している患者や、社会全体が不安と恐怖に包まれている状況で、個人が真に「自由な選択権」を行使し、冷静に情報を理解した上で研究参加への同意(インフォームド・コンセント)を与えることは極めて困難である。緊急時における同意手続きの迅速化と簡略化が求められる一方で、それが個人の自己決定権の形骸化につながらないようにするための慎重な配慮が必要となる。
第3章:医療AIとブラックボックス問題
人工知能(AI)、特に深層学習(ディープラーニング)を用いた医療AIの登場は、ニュルンベルク綱領が想定していなかった全く新しい倫理的課題を提起している。それは、AIの判断プロセスが人間には理解不能な「ブラックボックス」と化す問題である。
この問題は、ニュルンベルク綱領の核心であるインフォームド・コンセントの原則に根本的な挑戦を突きつける。その論理的連鎖は以下の通りである。
- ニュンベルク綱領第1条は、被験者が同意を与える前に、実験の「実施の方法と手段」について知らされなければならないと明確に規定している。
- しかし、高度な医療AI、特に診断支援や創薬に用いられるモデルは、膨大なデータから人間には認識できないパターンを学習し、極めて高い精度で結論を導き出す。その一方で、なぜその結論に至ったのか、その論理的な「方法と手段」を開発者自身も完全に説明できないことが多い。
- 研究者や医師がAIの判断根拠を説明できないのであれば、彼らは綱領が要求する説明義務を果たすことができない。
- 結果として、患者や被験者は、自らが受ける診断や治療の根拠を十分に理解できないまま、意思決定を迫られることになる。これは、綱領が求める「十分な知識と理解」に基づいた「納得した上での意思決定」とは言えない。
さらに、AIの学習に用いるデータに人種的・性別的な偏りがあれば、AIの判断にもバイアスが生じ、特定の集団に不利益をもたらす可能性がある。これは、ベルモント・レポートが掲げる「正義」の原則に反する。AIという新たな技術は、そのブラックボックス性によって、ニュンベルク綱領が築いた透明性と理解可能性というインフォームド・コンセントの基盤そのものを揺るがしている。この課題に対応するためには、AIの判断根拠を説明可能にする技術(Explainable AI, XAI)の開発や、新たな同意モデルの構築が急務となっている。
第4章:日本の臨床現場におけるインフォームド・コンセントの課題
国際的な倫理原則や最先端技術が提起する課題と並行して、日本の日常的な臨床現場においても、インフォームド・コンセント(IC)の実践には根深い課題が存在する。これらの課題は、理念と現実の間の乖離を示している。
- 形式化・形骸化のリスク:ICが、患者との丁寧な対話を通じて共同で意思決定を行うプロセスではなく、単に同意書に署名をもらうための事務的な手続き、すなわち「説明と同意」の儀式に陥ってしまう危険性が指摘されている。これは、ICの本質的な目的である自己決定の尊重を見失わせる。
- 情報格差と理解の困難:医師と患者の間には、医学知識に関する大きな非対称性が存在する。医師が丁寧に説明を尽くしたつもりでも、専門用語の多さや内容の複雑さから、患者が治療のリスクや代替案を真に理解し、納得の上で判断することは容易ではない。特に医療が高度化・複雑化する現代において、この課題はますます深刻になっている。
- 医療従事者の負担と時間的制約:十分なICを行うには相応の時間が必要だが、日本の多忙な医療現場では、医師が一人一人の患者に十分な時間を割くことが困難な場合が多い。医師の長時間労働の一因として、患者や家族への説明対応が挙げられており、これが丁寧なコミュニケーションを阻害する構造的な問題となっている。
- 困難事例への対応:特に救急医療の現場では、患者に意識がなく、家族ともすぐに連絡が取れない場合、ICの取得は極めて困難である。また、同意能力のない患者の代わりに意思決定を行う「代諾」の問題も複雑である。誰が最適な代諾者なのか、本人の意思をいかに推し量るべきかという問いは、自己決定を至上とするICの理念の根幹に矛盾を突きつける。
これらの課題は、ICを単なる法的義務として捉えるのではなく、患者と医療者が信頼関係に基づき、共同で最善の道を探るための継続的なコミュニケーション・プロセスとして捉え直す必要性を示唆している。
第6部:国際法における位置づけと影響
第1章:ニュンベルク「綱領」と「諸原則」の区別
ニュルンベルク綱領の法的地位を理解する上で、まず「ニュルンベルク綱領」(Nuremberg Code)と「ニュルンベルク諸原則」(Nuremberg Principles)を明確に区別することが不可欠である。この二つはしばしば混同されるが、その由来と内容は全く異なる。
- ニュルンベルク綱領(Nuremberg Code):本報告書で詳述してきた通り、これは1947年の「医事裁判」の判決文に含まれた、人を対象とする医学研究に関する10か条の倫理規範である 。その核心は、被験者の自発的同意をはじめとする研究倫理の確立にある。
- ニュルンベルク諸原則(Nuremberg Principles):これは、医事裁判ではなく、主要な戦争犯罪人を裁いた国際軍事法廷(IMT)の判決と、その根拠となったロンドン憲章から導き出された、国際刑法の一般原則である。国連国際法委員会によって1950年に法典化されたこれらの原則は、「平和に対する罪」「戦争犯罪」「人道に対する罪」の定義や、国家元首であっても個人として刑事責任を問われること、そして「上官の命令」は絶対的な免責事由にはならないことなどを定めている 。
要するに、「綱領」は研究倫理に関するものであり、「諸原則」は国際刑事責任に関するものである。この区別は、法的議論の正確性を期す上で極めて重要である。
第2章:慣習国際法としての地位
ニュルンベルク綱領は、米国の軍事法廷の判決の一部として生まれたものであり、それ自体が国際条約として各国によって批准されたわけではない。そのため、形式的な意味での直接的な法的拘束力を持つわけではない。しかし、これは綱領が法的に無力であることを意味しない。むしろ、その原則は、国際社会において極めて強力な規範的地位を獲得している。
この地位は、「慣習国際法」という概念を通じて理解することができる。慣習国際法とは、明文化された条約がなくとも、広範な国家実行(state practice)と、それが法的義務であるという信念(opinio juris)によって成立する、不文の国際法である。ニュルンベルク綱領の諸原則、特にその核心である「被験者の自発的同意」は、まさにこのプロセスを経て慣習国際法の一部になったと広く考えられている。
その根拠となる事象の連鎖は以下の通りである。
- まず、綱領の基盤となった法的概念は、1946年12月の国連総会決議95(I)によって承認された。この決議は、ニュルンベルク法廷(IMT)によって承認された国際法の諸原則を「確認する」ものであり、国際社会がこれらの原則を支持する明確な意思表示となった。
- 次に、綱領の原則は、その後の極めて影響力の強い国際的な倫理宣言(ヘルシンキ宣言、CIOMSガイドラインなど)や人権条約に一貫して、そして繰り返し組み込まれてきた。特に、1966年に国連で採択された「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(自由権規約)第7条は、「特に、自らの自由な同意なしに医学的又は科学的実験を受けないこと」を明確に禁じており、これはニュルンベルク綱領第1条の条約法への昇華と見なすことができる。
- さらに、これらの国際規範は、日本を含む多くの国々の国内法や倫理指針に反映されている。
このように、国家が国内法や国際的な場で繰り返し表明する行動(国家実行)と、それが守るべき規範であるという認識(法的確信)が積み重なった結果、ニュルンベルク綱領の基本原則は、単なる倫理的勧告を超え、すべての国を拘束する慣習国際法としての地位を確立した。したがって、ある研究者が「ニュルンベルク綱領」そのものに違反したとして国際法廷で直接訴追されることはないかもしれないが、彼または彼女がその中核原則(特に非同意の実験)を侵害した場合、それは今日では国際人権法および慣習国際法の違反として、法的な責任を問われる行為となるのである。
結論:人類の良心の灯
ニュンベルク綱領は、ナチス・ドイツという特定の歴史的状況下で犯された残虐行為への直接的な応答として生まれた。しかし、その意義は、その起源を遥かに超え、科学的野心に直面した際の、個人の尊厳の不可侵性を宣言する普遍的な声明へと昇華した。それは、医学と科学が、たとえ社会全体の利益という大義名分を掲げようとも、決して踏み越えてはならない倫理的な境界線を引いた、人類の良心の分水嶺である。
本報告書が明らかにしてきたように、綱領が打ち立てた「被験者の自発的同意」という礎石は、その後のヘルシンキ宣言、ベルモント・レポート、そして世界各国の法規制へと受け継がれ、現代の生命倫理の根幹を形成した。その道のりは、綱領の限界を乗り越え、より洗練され、より包括的な規範へと進化する歴史であった。
そして今、ゲノム編集、AI、パンデミックといった、綱領の起草者たちが想像すらしなかった技術的・社会的挑戦に直面する中で、ニュルンベルク綱領が提起する根源的な問い―同意とは何か、リスクと利益をどう測るのか、そして科学の目的とは何か―は、かつてないほど切実な響きをもって我々に迫ってくる。
技術の進歩が加速する時代において、ニュルンベルク綱領を単なる過去の歴史的文書として博物館に収めるのではなく、現代の複雑な倫理的状況を航海するための、生きた指針として絶えず参照し、その精神を再解釈し続けることが我々には求められている。人類の知識探求への渇望が、二度と自らの魂を犠牲にすることのないよう、ニュルンベルク綱領は、未来永劫にわたって人類の良心を照らし続ける灯でなければならない。