「普通」という枠にとらわれず、息子の幸せを選んだ特別支援学校への道

今日、5月5日は「こどもの日」
この日には、この団体を立ち上げたきっかけとなった、息子のことについて書きたいと思います。
特に私(金子訓隆)が、子育ての中で一番悩んだのは、息子が小学校にあがる「小学校就学の選択の道」でした。

特定非営利活動法人輝HIKARIの金子訓隆代表理事は、息子が3歳の誕生日からブログを開始して世の中へ発達障がいのある児童の子育てに関してテーマを求めてブログを書いていました。
マサキング子育て奮闘記
https://ameblo.jp/masaking129/

そのなかで2012年から小学校へ就学する息子の就学について「小学校就学への取り組み」として10回に渉り、父親の視点から息子の就学についてシリーズとして書きました。
このブログは今でも秋になるとアクセス数が上がり注目されています。
やはり普通への拘り、また二次障害への対策、イジメや他傷行為など様々な社会環境との摩擦の中で、幼少期の特別支援教育の重要性などを書いています。
このブログを書いてから約14年が経ちました。

小学校就学への取り組み
https://ameblo.jp/masaking129/theme-10044711973.html

今回はこの10回に渉るブログま内容を生成AIに解析させてまとめました。
と言ってもかなり長文です。
生成AIはChatGPT4.5のDeepResearch機能を使って要約。
そして、その内容をNotebookLMを使って音声で客観的な視点にして生成しました。

今のAI技術は凄いですね。14年前にこういうものがあったら、もっとまとめられたのかな?と思いつつ、現在の技術を駆使して、14年前の、埼玉県さいたま市の特別支援教育の背景と心の葛藤や、息子への幸せの価値観などについてまとめています。

以下がその要約です。
そして最期に、客観的な音声リンクを付けてあります。

「普通」という枠にとらわれず、息子の幸せを選んだ特別支援学校への道
●軽度発達障害の息子と進路選択の悩み
私は軽度の発達障害(知的障害を伴う自閉症スペクトラム、IQ67)の息子・真輝を育てる父親です。息子が小学校入学を控えた2011年当時、就学先の選択に非常に悩みました。発達障害のある子どもの場合、就学時に通常学級・特別支援学級・特別支援学校のどれに通わせるかを親が選択する必要があります。これは健常児には無い悩みで、多くの親御さんが子どもの将来を思うからこそ頭を悩ませる問題です。私も例に漏れず、「どこが息子に一番適した環境なのか」「将来どんな大人になってほしいか」を考えながら結論を出すまで何度も心が揺れました。
当時、さいたま市の就学相談センターで息子の発達検査や観察を受け、市の専門家からは「特別支援学級が望ましい」と判断されました。実際、幼稚園では定型発達児と一緒に過ごせているので「通常の子ども達の中で交流しながら社会性を伸ばせるのでは」というのが市の見解でした。確かにその通りなのですが、私は即答でこの提案をお断りしました。なぜなら、私は半年以上前の2011年6月頃からすでに息子を特別支援学校に通わせたいと決めており、通常学級でも支援学級でもなく「支援学校」という選択肢を固めていたからです。
当時この選択は非常に珍しく、さいたま市では前例がほとんどありませんでした。相談員の方々も「非常に珍しい考え方で、どう判断して良いか迷っている」という反応だったほどです。軽度の障害児の場合、通常はできるだけ普通の学校へという流れが一般的で、実際私の周りの療育仲間でも支援学校判定でも「あえて支援学級を希望する」親御さんが多かったのです。そんな中で「軽度なのに最初から特別支援学校を希望する」私は極めて稀なケースでした。身近な人に支援学校希望の意向を伝えた際も、「真輝くんはそこまで障害が重くないし、支援学校だと学力低下が心配では?」と驚かれたり心配されたりもしました。
それでも私が特別支援学校を選ぼうと決断した背景には、当時の地域事情と息子の将来像を見据えた親としての信念がありました。



●通常学級・支援学級・特別支援学校:それぞれのメリットとデメリット
息子の就学先を考えるにあたり、通常学級・特別支援学級(支援級)・特別支援学校それぞれのメリット・デメリットを整理しました。ただしこれはあくまで2011年当時、私たち家族が住むさいたま市の状況に照らした判断軸です。他の地域やお子さんには当てはまらない点もあることをご承知ください。
• 通常学級のメリット: 地元の小学校にそのまま通えるため地域の友達と離れずに済みます。また、特別支援のレッテルを貼られずに「普通の子」として扱われるので、本人のプライドを保ちやすく、履歴書にも特別支援学校卒と書かれない利点があります。学習面でも周囲に合わせて比較的高度な内容に触れられるでしょう。
• 通常学級のデメリット: 教師1人あたりの児童数が多く、発達障害の特性に合わせた配慮や支援が受けにくいです。息子のように知的に遅れがある場合、授業についていけず自己評価を下げたり、周囲との違いに苦しむ可能性があります。またクラスメイトから理解が得られないといじめや孤立のリスクも高まります。残念ながら当時の公教育では通常学級に在籍する発達障害児へのサポート体制は十分とは言えませんでした。
• 特別支援学級のメリット: 普通校の中にある小規模クラスなので、定型発達の子たちに混じって学ぶ機会を持ちながら、必要に応じて少人数の支援クラスで指導を受ける形が取れます。学習面や情緒面で安定している教科・場面では通常学級に参加し、難しい場面では支援級に戻るといった柔軟な交流も可能です。地域の学校に設置された支援級であれば地元の友達とも同じ校舎で過ごせます。
• 特別支援学級のデメリット: 当時のさいたま市ではそもそも支援学級のある小学校自体が非常に少ない状況でした。人口約123万人のさいたま市で支援学級設置校は102校中28校、配置率27%に過ぎなかったのです。運良く支援級がある校区に引っ越す以外、希望の支援学級を選ぶことは困難でした。実際、私たちの地元校には知的障害の支援学級が無く、支援級を望むなら息子だけ幼稚園の友達と別の小学校に通わざるを得ない状況でした。これは支援学校を選んだ場合も同様に地元の友達とは分かれることになるため、「どうせ別の学校に行くなら…」という思いにつながりました。また支援級は基本的に各学年数名程度の在籍で学年合同授業も多く、軽度の子は手がかからない分放置されてしまう恐れもあります。クラスのすぐ隣で健常児が当たり前に授業を受けている環境は、逆に「自分はできない」という劣等感を刺激しやすい面もあります。さらに保護者の関わり方も通常学級に準じるため、親が教師と一緒に療育に参加することは難しいです。小学校と中学校で支援級同士の連携も弱く、進学時に一貫した支援が受けづらい点も課題でした。こうした要因から、支援級だけでは将来への展望(高校進学や就労準備)が見通しづらいとも感じました。
• 特別支援学校のメリット: 発達に課題のある子どものための学校ですから、校舎の設備から教員配置まで療育に適した環境が整っています。少人数できめ細やかな指導を受け、子どもの個性や長所を伸ばしつつ、課題の改善に取り組める点は大きな魅力でした。必要に応じて保護者が学校活動に参加したり家庭と連携した指導を受けやすいことも特徴です。小学部から高等部まで一貫教育であるため、学年が上がる際も支援の引き継ぎがスムーズで、長期的な視野で子どもの成長を見守れます。通学は基本的にバス送迎が利用できるため、親の負担が軽減される点もメリットでした。
• 特別支援学校のデメリット: 地域の通常校に通わない分、地元の友達との接点が薄くなり、地域社会で孤立してしまう恐れがあります。健常児と日常的に触れ合えないことで社会性の伸長に不安を感じる人もいます。また学習内容が子どもの発達段階に合わせたもの中心になるため、一般的な学力はどうしても低下しがちです。そして何より、「特別支援学校卒業」という事実自体が一生涯ついて回ることに親として葛藤がありました。後述しますが、私自身「可愛い我が子に障害者のレッテルを貼ってしまうのか」という点で1週間眠れないほど悩んだのです。
以上のようなメリット・デメリットを踏まえ、息子にとって最善の環境はどこかを何度も自問自答しました。もし地元の小学校に支援学級があれば迷わずそこを選んでいたでしょう。しかし現実にはどのみち地元校には通えない。それならばと、私は支援学級より療育環境が充実し将来への備えもできる特別支援学校を選ぶ方向で考え始めたのです。



●「普通」にこだわらず将来の自立と幸せを見据える
支援学校に通わせると決めたとはいえ、そこに至るまで私の心は激しく揺れました。正直に言えば、特別支援学校を選ぶことは親である自分自身が「息子は障害者だ」と公に認める(レッテルを貼る)行為のように感じられたからです。できれば普通学級で普通の子たちと一緒に学ばせたい、少しでも「普通」に近づけたいという思いは、親であれば当然抱く愛情だと思います。実際、多くの軽度発達障害のお子さんの親御さんが必死に通常環境に適応できるよう努力されていますし、その選択を私は否定しません。
しかし私は真輝の様子をずっと見守る中で、ある疑問が頭から離れませんでした。それは「そもそも『普通』の定義って何だろう?」ということです。誰が決めたわけでもない「普通」という幻想のせいで、どれだけ多くの障害児が苦労し、辛い思いをしてきたか――発達障害児が無理に“普通”に合わせられることで、心に深い傷を負う事例を私は知っていました。実際、さいたま市の特別支援学校の先生から伺った話ですが、中学以降で通常級や支援級から支援学校に編入してくる子が近年とても増えているそうです。思春期になると環境のストレスから不登校になったり、攻撃的になって通常校では手に負えなくなってしまうケースも多く、そうした子たちが中途編入してくるとのことでした。それらの子の中には、軽度ゆえに幼少期から無理に「普通」に馴染ませようとされた結果、強いストレスを抱え二次障害(後述)を発症してしまった例も含まれます。
さらに問題なのは、そうして編入してきた子ども達は、本来の発達障害そのものの療育に取り組む前に、まず二次障害へのケアに長い時間を要してしまう点です。特別支援学校の教頭先生曰く、二次障害の治療・緩和に数年費やすケースもあるとのことでした。私はその話を聞いて、「息子をただ『普通』でいさせることが本当に彼の幸せなのか」を真剣に考えました。
確かに社会一般でいう「普通」の人生――普通の学校を出て、普通の会社に就職し、普通の給料をもらい家庭を持ち…というのは理想かもしれません。しかし、もしその「普通」に息子が適応できず苦しむのであれば、私は潔く「普通」という呪縛を捨てようと決意したのです。これは決して諦めではありません。むしろ息子が息子らしく笑顔で生き抜くために、親としてできることを選んだ結果でした。
さいたま市は2011年当時、全国に先駆けて「ノーマライゼーション条例」を制定し、障害児が地域で平等に教育を受ける権利を謳っていました。私はこの条例や国の特別支援教育の方針にも背中を押され、「普通」にこだわらず息子にとってベストな環境を追求しようと心に決めました。息子は私の子ですから正直頭が良いとは言えませんし、将来「先生」と呼ばれる職業(医師・弁護士・政治家など)に就くことはまずないでしょう。だからこそ過度な期待はせず、息子が自分らしく幸せを感じられる人生を歩んでくれれば十分だ、と考えるようになりました。

●特別支援学校を選ぶことへの葛藤と偏見への向き合い
とはいえ、軽度の我が子を特別支援学校に入れる決断に至るまで、本当に悩みました。前述の通り「障害者のレッテルを一生貼ってしまうのでは」という葛藤が大きかったからです。一時は精神的に追い詰められ、丸一週間まともに眠れなかったほどです。「この選択は親である自分のエゴではないか?」「普通級で頑張らせる努力を放棄するのは逃げではないか?」と自問自答しました。世間には「軽度なら普通学級に行けるはず」「わざわざ支援学校に入れるなんて過保護だ」という偏見めいた見方もありますし、何より自分自身がそうした世間体を気にしていました。
しかし悩み抜いた末に思ったのは、親のプライドより子どもの幸せだというシンプルな結論です。【普通でないと可哀想】というのは実は親の思い込みであって、息子本人が将来どう感じるかが大事ではないでしょうか。私は特別支援学校の先生との懇談で「普通とは一体なんなのか」を問いかけ、自分の考えを率直に話してみました。すると先生から「まさに親御さんは余計なプライドを捨ててお子さん本位で考えていらっしゃいます。『普通』のせいでどれだけ子ども達が辛い思いをしているか、私も日々感じています」と共感の言葉をいただいたのです。その言葉に救われ、「周囲の目より息子の心を守る」決心が固まりました。
確かに支援学校に通えば世間的には「特別支援学校の子」です。けれど、それをネガティブに捉える必要はないと今は思っています。障害を持って生まれたのなら、無理に普通を装わせるより、「立派な障害者」として胸を張って生きてほしい。そして周囲の理解を得ながら、誰よりも自分の人生を楽しんでほしい。支援学校入学という選択には、そんな将来への親なりの願いも込められているのです。



●支援籍制度を活用したハイブリッドな学習環境
とはいえ、「支援学校に行けば健常児との交流がなくなってしまうのでは?」という懸念は残ります。私も当初その点を心配しましたし、就学相談員の方にも率直に疑問を投げかけられました。「社会性を身につけるには、できれば通常の子ども達と学ぶ機会があった方が良いのでは?」という問いかけです。私が考案したのは、その両方の良さを取り入れる“ハイブリッド”な学習環境でした。
具体的には、「支援籍学習制度」の活用です。さいたま市では「交流及び共同学習制度」と呼ばれていますが、これは特別支援学校に在籍しながら定期的に地元の通常学校にも通える制度です。私は息子の籍をまず特別支援学校に置き、そこで個別療育を受けつつ、月に数回は地元校(幼稚園時代の友達が通う学校)に交流に行くことを提案しました。文部科学省も支援籍制度は推奨しており、障害児が地域の学校で学ぶ権利を保障しています。この制度を使えば、支援学校に通いつつ幼馴染の友達とも引き続き関われますし、健常児の中で刺激を受ける機会も確保できます。
もし支援学級を選んで他の校区の学校に通っていたら、逆にこうした交流は難しかったでしょう。支援学級の場合、籍はあくまでその通常校にあるため、別の学校に行き来する制度は使えません。支援学校在籍だからこそ物理的に2つの学校に並行して通うという柔軟なプランが可能になるのです。
支援籍制度で交流学習を行う際には、支援学校の教員や保護者が付き添う決まりになっています。そのため息子が地域校に行くときは私も可能な限り同行し、見守るつもりです。そうすれば交流先で息子が孤立したりいじめに遭ったりする心配もありません。最初は月1~2回程度から始め、息子の成長に応じて交流頻度を増やしていきたいと考えています。息子の情緒面の安定を最優先に、環境をその都度選択できる――これが私の描く新しい教育形態でした。
相談員の方にもこのプランを説明したところ、「なるほど!それなら支援学校で個別療育を受けながら、通常校の環境も息子さんの状態に合わせて選択できますね」と理解を示していただけました。さいたま市はノーマライゼーション条例で障害児教育の権利を掲げた自治体ですから、息子には本来通うべき地元校に通う権利も、障害児ゆえに支援学校を選ぶ権利も両方あるという私の主張にも一理あるという反応でした。
もちろん今後、地元校に支援学級が新設されたり、息子が通常学級でやっていける見通しが立てば進路を再考するつもりです。しかし現段階では地元に支援級はなく、無理に通常校だけに通わせて息子に過剰なストレスを与えるより、支援学校+交流学習という併用プランがベストだろうと考えています。

●父が描く息子の将来像と教育方針
私が就学先を検討する上で常に念頭に置いていたのは、息子が将来自立して社会参加できる大人になってほしいという願いでした。そのために、親としてある程度具体的な将来像も思い描いていました。ブログでも綴りましたが、私が息子・真輝に将来就いてほしいと密かに願っている仕事が3つあります。

1.障害者の介護をする仕事 – 自身も発達障害を持つ息子だからこそ、将来同じ境遇の人たちを身近な存在として理解し、助けてあげられる人になってほしいのです。発達障害の子は様々な苦難を経験する分、誰かの痛みに寄り添う力を持てるのではないか。自分の人生で「人を助ける」ことの尊さを学んでほしいという思いです。精神障害のある方が介護職に就く例も多いと聞きます。同じように息子にも、困っている人の立場に立って考え行動できる優しい人間になってもらえたらと願っています。発達障害(自閉症)の特性上、「相手の立場で考える」のは容易ではありませんが、それでも人を思いやれる心を育んでほしいのです。

2.自衛隊員 – これは正直に言えば私個人の思想が反映された希望です(笑)。日本という国土や自然、そこに暮らす人々を愛し、そして「護る」ことに誇りを持てる人間になってくれたら嬉しいという親心です。体を動かすことが好きな息子ですし、規律ある環境で社会に貢献する道も魅力的に映りました。

3.ものづくりの現場(製造業)に携わる仕事 – 日本は古くから「ものづくり」で世界をリードしてきた国です。近年は製造業の空洞化が進んでいますが、世界の高度技術の多くは日本初の発明に支えられています。息子自身が発明家になるのが理想ですが、たとえそうでなくても、日本人が生み出した優れた製品を支える大量生産の現場で力を発揮してほしいと思いました。手先が不器用でもコツコツ取り組む作業には適性を見せる息子ですから、“日本の産業を陰で支える職人”になれたら誇らしいだろうなと夢想しています。

以上の3つが私の勝手な真輝の将来像ですが、いずれも共通するのは「誰かや社会の役に立つことで、人から感謝され、自分も生きがいを持てる仕事」という点です。息子には、高学歴エリートの道を期待するのではなく、人との協調性や社会性を身につけて、自分なりの幸せを感じられる人生を歩んでほしい。そのために今必要なのは国語算数の知識よりも、一人の人間として社会で生活する基本を徹底的に学ぶことだと考えています。特別支援学校で身につけてほしいのも、まさにそうした生きる力です。
「多くは望まない」と言いつつ、つい将来をあれこれ夢見てしまうのは親バカかもしれません。しかし、私がこうした希望を抱けるのも、特別支援学校であればこそです。支援学校なら高校まで一貫教育で長いスパンで子の成長を見通せますし、就労支援のカリキュラムも整っています。実際、市内のある特別支援高校では就職率100%を実現しており、息子が高校を出る頃にはより多様な就労先が用意されているはずだと期待しています。息子の将来に向けて過度な心配をするのではなく、現実的かつポジティブな展望を持つ――その指針としてこれらの将来像を胸に、日々の子育てと教育方針を定めているところです。

●二次障害のリスクやいじめへの備え
軽度発達障害の子育てで私が何より恐れているのが、成長過程で生じうる「二次障害」です。二次障害とは、発達障害そのものではなく、その周囲の環境ストレスなどが原因で後天的に生じる心の病や問題行動のことを指します。具体的には、うつ病・引きこもり・対人恐怖といった形で現れることもあれば、攻撃性が高まり他者への暴力や弱い者いじめといった形で表面化することもあります。私は先輩親御さんから伺った体験談や専門書籍でこの二次障害について学び、その悲惨さに戦慄しました。場合によっては将来、本人が犯罪者になってしまう可能性すら孕んでいるのです。
特に発達障害の子は、周囲から「わがまま」「怠けているだけ」と誤解され厳しく叱責されることで心を傷つけられ、それがPTSDのように残ってしまうケースがあります。知的に軽度だと「性格の問題」と思われがちで、親もつい普通の子と同じように厳しくしつけてしまう。しかしその度重なる強い叱責が二次障害の引き金になることがあるのです。実際、「発達障害の子どもは虐待を受けやすい」というデータもあり(※発達障害だから虐待されるのではなく、障害ゆえに理解されず虐待されてしまうという意味)、親として肝に銘じています。
私の息子もプレッシャーに弱い特性があり、過度な期待や叱責を受けると不安定になります。だからこそ決して無理はさせず、プレッシャーを軽減する環境を整えてあげたいのです。特別支援学校を選んだ理由の一つもここにあります。少人数でゆったりと本人のペースに合わせた療育ができる環境であれば、本人の自己肯定感を育みつつ苦手克服にも取り組めます。一方、通常級で周りについていけない劣等感に苛まれたり、叱られてばかりの日々では、本人の心が折れてしまうかもしれない。二次障害を防ぐという観点で、私は支援学校という選択肢に大きな期待を寄せました。
また、いじめの問題への備えも重要です。小学校に上がると、幼稚園までとは環境が一変し、親の目が届かない場面が格段に増えます。休み時間や放課後、先生の目の及ばないところで子ども同士の人間関係が構築されていきます。発達障害のある子はどうしても周囲とトラブルが起きやすく、実際全国的にも軽度発達障害の子がいじめを受けたという話は枚挙に暇がありません。いじめる側に悪意はなくても、いじめられた側には深い傷が残ります。そして親が学校の全ての場面に介入することは不可能なので、最終的には子ども自身で乗り越えなければならない壁になります。
とはいえ、私は親として手をこまねいているつもりはありません。環境を整え構造化することで、いじめのリスクを軽減することは可能だと考えています。例えば先述の支援籍制度の活用もその一つです。支援学校をベースにしつつ、交流に行く際には必ず大人がサポートに入ることで、息子が一人で悩みを抱え込む状況を避けられます。支援学級にせよ支援学校にせよ、息子に合ったペースで集団参加を調整することで、いじめによる心の傷や孤立を最小限に留めたいのです。
実際問題、いじめは健常児の間でも起こり得る普遍的な課題で、完全に避けて通ることはできません。だからこそ私は「最悪の事態を防ぐセーフティネット」を張り巡らせておきたいのです。特別支援学校ならば教員と保護者の連携も密で、些細な心の変化にも気づきやすいでしょう。息子が不登校や問題行動に陥る前にケアできる体制を築いておく――これも私が支援学校を信頼した大きな理由です。



●2011年と2025年の特別支援教育・就労支援の現状
以上が2011年当時、就学先決定までの私の葛藤と選択理由でした。それから歳月が流れ、現在2025年。息子は高校を卒業し、私も当時思い描いた「将来」にだいぶ近づいてきました。ここで、2011年当時に私が期待していた特別支援教育制度や障害者就労支援が、どの程度実現しているかを振り返ってみたいと思います。
まず、特別支援教育の環境整備について。2011年当時、さいたま市の小学校における特別支援学級の配置率は27%と低く、私は市議会議員に直談判して増設を求めたほどでした。それが今では、さいたま市の全ての市立小・中学校(※一部例外校を除く)に知的障害及び自閉症・情緒障害の特別支援学級が整備されています。在籍者がいなければ休級扱いにはなりますが、必要な子がいればどの学校でも支援学級を開設できる体制が整ったのです。この変化は、私が望んでいた「身近な地域ですぐ支援を受けられる環境」そのもので、大きく前進しました。特別支援学校の数も県内で増設が進み、軽度発達障害児を対象とした新しい支援学校や分校が次々開校されています(埼玉県は2023年度に新たに本校1校と高等学校内分校3校を開設するなど、受け皿拡充に動いています)。私が期待した通り、埼玉県は軽度発達障害児向けの特別支援教育を大きく拡充する方向へ舵を切ってくれました。
次に、障害者の就労支援制度についてです。2011年当時、発達障害者の就労支援はまだ手探りの状況で、「特例子会社制度」(大企業が障害者雇用のための特別な子会社を設立する制度)などが徐々に知られてきた頃でした。私は「将来息子の働き先がなければ、自分が会社でもNPOでも作ればいい」という覚悟すら持っていました。しかし幸いなことに、社会の側も少しずつ変わりつつあります。企業に課せられる法定雇用率(従業員に占める障害者の雇用割合)は、私が悩んでいた頃から段階的に引き上げられてきました。2021年には2.3%に引き上げられ、2024年には2.5%、2026年には2.7%へと段階的に引き上げることが決まっています。民間企業でも発達障害者を含めた雇用促進が図られ、職場での合理的配慮(障害に応じた環境調整)を行う動きが広がっています。就労移行支援や就労継続支援B型といった福祉サービスも充実が進み、障害のある人が働くための訓練や場が増えてきました。息子の世代が社会に出る頃には、きっと私たち親世代が望んだ「障害者が当たり前に働き、活躍できる社会」が今以上に実現していることでしょう。
振り返れば、2011年当時私は「発達障害の認知度は上がっているのに、支援制度や就労制度は追いついていない。このまま放置できるはずがない」とブログに書きました。実際その通りに、日本の特別支援教育も障害者雇用もこの十数年で大きく前進しました。もちろん課題が全て解消したわけではありませんが、少なくとも「普通」の枠に無理やり押し込められて苦しむ子どもが減り、必要な支援を受けながら自分らしく成長できる世の中に近づいてきたと感じます。

最後に、当時の自分自身へ伝えたいです。「あなたが将来に期待していたことは、少しずつ現実になりつつあるよ」と。【発達障害が認知され支援が変わらないわけがない私たち親も声を上げ、動けば、社会はちゃんと変わっていくのだと実感しています。何より、息子が笑顔で社会へ旅立ってくれた今、あの時悩み抜いて下した選択は間違っていなかったと胸を張って言えます。これからも「真輝らしさ」を大切に、彼の未来を親子で切り拓いていきたいと思います。

*音声では「真輝(まさき)」を「まき」と言われている部分がありますが、これは読み誤りです

音声文字化

♥女性アナウンサー
今回見ていくのは、あるお父さんが書かれたブログ記事です。
自閉症スペクトラムの息子さん真輝さんの成長を15年間綴ってこられた記録の抜粋ですね
☆男性アナウンサー
ええ
♥女性アナウンサー
特に、息子さんが小学校に上がる前2011年頃の大きな選択と葛藤
☆男性アナウンサー
そうですね。
♥女性アナウンサー
それから15年経って、息子さんが社会に育っていく最近の心境、この辺りに焦点を当ててみたいと思います。
☆男性アナウンサー
はい。
これらの記録からはまず、息子さんの幸せを本当に大事に願うお父さんとしての深い愛情がすごく伝わってきますよね。
同時に、その2011年当時に直面した特別支援教育の選択肢、それと、そこから見据えていた10年後、15年後、つまりちょうど2025年頃の障害者支援がどう変わるだろうか?いや、変わってほしいかというような未来への視点。
これも非常に興味深いところです。
♥女性アナウンサー
まさにその愛情と未来への視点、この2つを軸にしながら2011年当時の選択がいかに難しいものだったのかそして15年経ってどうつながっていったのか一緒に掘り下げていきましょうか
☆男性アナウンサー
はいお願いします。
♥女性アナウンサー
まずその出発点なんですけど2011年、息子さんが小学校に上がるときですね。
ここで大きな選択に迫られる息子さんは当時診断としてはIQ67で軽度の知的障害を伴う発達障害ということでした。
☆男性アナウンサー
ここで具体的に悩まれたのが、地域の普通小学校の中にある支援学級に通うか、それとも障害のあるお子さんのための専門的な教育を行う特別支援学校にするか。
ここは本当に多くの親御さんが直面する大きな壁だと思いますね。
♥女性アナウンサー
そうですよね。
ブログを読むとお父さん自身も最初はやっぱり普通の環境にっていう思いと
☆男性アナウンサー
こだわりみたいな。
♥女性アナウンサー
そうこだわり。それと特別支援学校に入れることへの抵抗感、障害者っていうレッテルを貼ってしまうんじゃないかっていうそういう恐れがあったと正直に書かれてますね
☆男性アナウンサー
でもある方との対話がきっかけになったんですよね。
♥女性アナウンサー
そうなんです。「支援学校に行ったら将来がなくなるのか。それは健常者であるあなた自身の中に障害者への差別意識があるんじゃないか」って。
☆男性アナウンサー
これはかなりガツンときたというか
♥女性アナウンサー
いや本当に価値観を揺さぶられた、と書かれていますね
☆男性アナウンサー
で、この問いかけでお父さんはその普通っていう枠からある意味解放された
♥女性アナウンサー
そうですね。真輝が幸せと思えるような真輝らしい人生、それこそがゴールなんだと気づいたわけですね
☆男性アナウンサー
そうなんです。
彼が一番あの恐れていたのは通常学校で無理をしてしまって結果的にいじめとか不登校、引きこもり、あるいはまあ攻撃性が出てしまうとか、そういう二次障害を引き起こすことだったんですね。
♥女性アナウンサー
はいはい。もともとの障害が原因で経験する困難が、さらに別の心の問題とか行動の問題につながっちゃうリスク。
☆男性アナウンサー
そうですそうです。これを何としても避けたかった。
♥女性アナウンサー
そのために、支援学校と支援学級それぞれのメリットデメリットをかなり冷静に比較検討されていますよね。
☆男性アナウンサー
支援学校は、やっぱり手厚い療育が期待できるでも一方で地域とのつながりは薄くなるかもしれない。
支援学級だと地域との接点はあるけど、学校によっては十分な支援が得られないかもとか。
♥女性アナウンサー
あとは劣等感を感じちゃうリスクとか、いじめとかも心配されてましたね。
☆男性アナウンサー
そうですね。最終的に立派な障害者として自分なりの人生を楽しく生きてほしいと、そういう願いの下で息子さんの特性にあった手厚いサポートが受けられる特別支援学校を選ばれた。
♥女性アナウンサー
なるほど
☆男性アナウンサー
ここにはもう普通じゃなくて、その子自身の幸せを追求するんだという強い覚悟を感じますね。
♥女性アナウンサー
しかもその覚悟がすごいのは、もし将来真輝がどこにも就職できなかったら、俺が職場を作ってやると。
☆男性アナウンサー
いやー。これはなかなか言えない言葉ですよね。
♥女性アナウンサー
本当に強い決意だと思います。
☆男性アナウンサー
そして、あの注目したいのが、彼が2011年の時点でもう10年後15年後
♥女性アナウンサー
つまり2025年頃
☆男性アナウンサー
そうその頃の社会をもう見据えていたっていう点なんです。
当時の制度だけじゃなくて、将来的な支援の拡充にかなり明確な期待を寄せていた
♥女性アナウンサー
へぇ。具体的にはどんなことを期待されていたんですか?
☆男性アナウンサー
例えばですね、障害者の雇用を促進するために企業が作れる特例子会社。この制度がもっと拡充されるんじゃないかとか。
あとは軽度の発達障害に特化したような新しい教育スタイルが出てくるんじゃないかとか例えば低賃金であっても。
軽度の障害のある人たちがちゃんと納税者として社会に参加できるそういう未来を期待してたわけですね。
♥女性アナウンサー
いやー、それはすごいですね。2011年にそこまで考えていったとは、あと交流および共同学習制度でしたっけ?支援学校に席を置きながら地域の学校とも交流する。
☆男性アナウンサー
そうですそうです。
あれを活用すれば社会性も誇れるんじゃないかと非常に戦略的に考えてらっしゃった。
♥女性アナウンサー
本当ですね。
☆男性アナウンサー
で、こうした考えの下で、彼は2009年からSNSで発信を始めて、同じようなお父さんたちとつながるNPOおやじりんく、あとの輝き、輝HIKARIですね。
ああ、NPOもええ、その設立とか運営にも関わっていくわけです。
だから単なる個人の記録じゃなくて、ちゃんと社会的なアクションにもつなげていったんですね。
♥女性アナウンサー
すごい行動力ですね。そして時が流れて2024年、息子さんは18歳になって高等支援学校を卒業して社会へと。
♥女性アナウンサー
ブログには最初の頃の3歳くらいの写真と、最近の卒業旅行の写真が並べてあって、15年という時間のもみを感じますよね。
☆男性アナウンサー
本当に感慨深いでしょうね。
これを一つの区切りとして、お父さんは個人としてのSNS発信は終えられて、今後はNPOの代表として活動を続けると。
♥女性アナウンサー
なるほど、15年前の大きな決断が、息子さんの社会への一歩っていう形で一つ実を結んだわけですね。
☆男性アナウンサー
父親として本当に何というか、満貫の思いだったんじゃないでしょうか。
♥女性アナウンサー
でしょうね。
しかも、彼が予測した2025年がもうまさに来年に迫っている中で、当時の期待とじゃあ今の状況はどうなんだろう?って比べてみるのもすごく示唆に富むと思いますね。
☆男性アナウンサー
確かに今回は一人の父親が、いわゆる社会の普通っていう価値観に疑問を持って、息子さん自身の幸せを最優先に考えて未来を切り開こうとしたその奇跡を見てきました
♥女性アナウンサー
そうですね。彼の15年前の選択、そして2025年頃の社会に対する期待とか予測。これらは私たち自身が考える「幸せ」とか「自立」そして「共生社会」ってどうあるべきなんだろうっていうことについて改めて問いを投げかけている。
そんな気がしますね。
☆男性アナウンサー
本当にそうですね。
あなたにとって彼の歩みや考え方がどんな気づきを与えてくれるでしょうか。
少し思いを巡らせてみるのも良いかもしれませんね