コップの中の水とエコーチェンバー現象と清濁併せて・・・のコラム

今日はコラムになりますが、私、金子訓隆代表理事が心に残った内容の投稿になります。

先日、妻からインスタグラムの投稿がシェアされてきました。
内容については「いつ」「だれが」「だれに」「どのように」話したのか?不明ですが、「なるほど」と、とても納得出来た内容でした。

またこの同様の投稿は、今治明徳中学校の「学びの窓」にも投稿されていたので、そちらの投稿も引用します。

母が息子に言った「深すぎる」勉強の本当の意味 | 今治明徳中学校

インスタグラムに興味深い記事が出ていました。なぜ勉強しなければならないのか疑問に思っていた皆さんには少し参考になると思います。  ※  ※   ※  ※   ※  …

何で勉強なんかしなきゃいけないの?という質問に教師の母が机にコップを置いてこう答えた
「算数」を学べば、この中に200mlの水があるというように、数字で“見える"ようになり
「理科」を学べば、この水は水素と酸素からできていることが知れる
「社会」を学べば、この水がどこから来たのかがわかり、そして世界にはこのきれいな水を飲むことができない人たちがいることを知れる
「美術」を学べば、この水の反射を綺麗に描く事ができるようになるし
「音楽」を学べば、同じコップでも水の量で音を変えられることにも気付ける
「技術」を学べば、このコップがどんな素材でなぜ漏れないかがわかり、人の“創造"の凄さを知ることができる
「保健体育」を学べば、この水が体にどれだけ大切なのか健康を支える命の正体が見えてくる
「道徳」を学べば、この水を誰かと分け合うことの大切さを学べて、思いやりの心が育つ

「国語」を学べば、今私が話した“全部の意味"を“正しく"理解できるようになる
「英語」を学べば、この話を世界中の人と分かち合えるようになる
「哲学」を学べば、この話に何の意味があるのか考えられるようになる


でももし、何も学ばなかったらこのコップの中にあるのは「ただの水」で終わる。
だから勉強するの。この世界をただ見ているだけの人生で終わらせない為に。

(インスタグラム『余命半年の教師の母が息子に言った「深すぎる」勉強の本当の意味』より)

この多角的視点ってとても重要です。

心理現象のなかで「エコーチェンバー現象」というものがあります。

総務省:インターネット上での情報流通の特徴と言われているもの
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r01/html/nd114210.html

「エコーチェンバー」とは、ソーシャルメディアを利用する際、自分と似た興味関心をもつユーザーをフォローする結果、意見をSNSで発信すると自分と似た意見が返ってくるという状況を、閉じた小部屋で音が反響する物理現象にたとえたものである。

特にSNSから情報収集を行うのが日常的になると、この「エコーチェンバー現象」は益々増加し、かなり偏った性質を持ち、正しい事と誤っていることの判断が見誤ることも出てきます。
最近の人たちはこれがとても顕著に表れています。
人との交流が少ない人ほど、そして、ネットからの情報に頼る人ほど、この状況が強くなり、良かれ悪かれ強い思想になっていきます。
多角的視点の重要性としては、先ほど紹介した、『余命半年の教師の母が息子に言った「深すぎる」勉強の本当の意味』はとても重要な視点だと感じました。

私の父はもう亡くなっています。
私が若い頃に父が言っていた言葉で、今でもそして何か行動を起こすときでも、いつもある父の言葉が蘇ってきます。

それは
「清濁併せて清を出せ」
という言葉です。

ことわざで「清濁を併せ呑む」というものがあります。
意味は、心が広く、善でも悪でも分け隔てなく受け入れる度量の大きさの例えで、人の感性はこのようになれという意味だと思います。

ただ私の父は「清濁併せて清を出せ」と言っていました。
物事の両面を多角的に見て、自分でそれを考えて、そして自分が正しいと思う行動を「清」として、それを出せと言っていました。

この言葉は私の中の行動や思考の原点になっています。
ただそれを全て実行できるているか?そのような配慮ができているか?などの結果は分かりません。
それが「不覚的要素の強い人間」というものであると。
だからこそ、多角的視点の考察はとても重要であり、1つのものを色々な観点から考えてみる、そして自分が正しいと思う意見、間違っていると思う意見も併せて、そこから自分が正しいと思って意見を出すことが重要だと考えています。