山本博司参議院議員・原田大二郎新参議院議員との交流:永田町
本日は、永田町にある参議院議員会館へ訪問して、山本博司参議院議員と議員として最後の交流をさせていただきました。

山本博司参議院議員は、2012年2月23日に初めて交流をさせて頂き、この13年5ヶ月で23都道府県で約300回以上の交流を重ねて、障害福祉支援の分野に於いては、様々な政策提言、予算拡充など一緒に活動をさせて頂きました。
当団体のホームページでも、また私の個人facebookページでもそしてXでも数々の交流が記されています。
とても残念な事ですが、公明党の規約により、今回の7月に行われた参議院議員選挙において、7月28日の任期をもって参議院議員をご勇退されます。
今回の参議院議員選挙では公認の原田大二郎氏が挑戦を行い、見事比例区として当選されました。このお二方の「魂のバトンタッチ」は原田大二郎氏のyoutube動画でも紹介をされています。
今回、山本博司参議院議員から、7月28日から新しく参議院議員として活動をスタートする原田大二郎氏と共に、本日はそのバトンタッチのところを拝見させて頂く事が出来ました。
原田大二郎氏は、本日、総務省から参議院議員としての授与証を渡され、様々な手続きとして、議員会館に来られました。
そのお二方と共に記念撮影。世代交代の大事な場面に立ち会うことが出来ました。

そして参議院議員として最後に来られた参議院議員会館で共に「これまで」と「これから」のことについて語り会う時間も頂けました。
山本博司参議院議員へ
3期18年間の政務活動おつかれさまでした。
またここまで健康に活動出来た事、そしてその活動を陰で支えられた奥様、ご家族ご親族、秘書の方々にも改めてこの場で「お疲れさまでした」と伝えさせていただきます。
輝HIKARI代表理事の金子訓隆は、先生でも議員でも何でもない一人の国民で、ただの障害のある子どもを持つ1人の父親に過ぎませんでしたが、ここまで山本博司参議院議員の活動を間近に見せて頂き、共に活動出来た事は一生の宝物です。
金や物では計ることの出来ない心の繋がりで、13年間、23都道府県、300回以上の交流を重ねてきました。
政治というものがここまで身近に感じることが出来て、声をだすことで本当に世の中を変えることが出来ると体験できました。
この体験は経験した者でないと、説明しても分からない感覚です。
山本議員との1番の思い出は2020年3月某日、議員事務所で行われた官僚たちとの支援に関する激しい議論でした。
あの議論について、障害福祉に携わる私たちに光を照らそうとしたあの山本議員の気迫を、金子訓隆はその隣の席に座らせていただき、山本議員側から様々な支援の提案をさせて頂いたあの時のことは今でも忘れない記憶です。
当時は日本全体がコロナの感染に怯える中で、そして私たちのような障害福祉施設が、罹患の恐怖に脅かされていたとき、その中で強い支援策を国に提案したことは、私たち支援者が大きな光に包まれて安心できました。あの時の記憶は絶対に忘れません。
これからも輝HIKARIの金子が出会う支援者達には必ず、山本博司参議院議員が障害福祉に関わる全ての人たちを守ろうとしたことはずっと語って参ります。
参議院議員山本博司との関係は幕を閉じますが、山本博司さんという人物とはこれからもずっとずっと団体として交流をして参りたいと思ってます。