社会福祉法人大阪手をつなぐ育成会 小田理事長らと障害福祉・就労などで懇談:大東市

10日夕方、大阪府大東市内の 社会福祉法人大阪手をつなぐ育成会を訪問して懇談いたしました。
山本博司前参議院議員が、全国手をつなぐ育成会連合会の事務局からご紹介頂き、小田理事長と連携、今回の訪問となりました。
この訪問には、 ㈱シーアイ・パートナーズ本田信親専務取締役COO、輝HIKARIの金子訓隆代表理事が同席。
山本博司前参議院議員も重度知的障害ある娘さんの父親、本田専務も双子の子どもが知的障害と発達障害、金子訓隆代表理事の息子も知的障害があり、みんな障害のある子どもを抱える父親です。
小田多佳子理事長も現在31歳の重度自閉症の息子さんと暮らしておられます。息子さんが5歳の時にご主人が病気で亡くなり、シングルマザーとして歩まれてこられました。
NPO法人を立ち上げ、そして現在66年の歴史ある大阪手をつなぐ育成会の理事長を担われておられます。

小田理事長と「今後の施設整備、障害者就労、特に大阪での工賃向上施策、共生社会への道筋など」で意見交換しました。

特に大阪の福祉就労の実情と障害者優先調達推進法の活用など他県での実例を紹介。
(株)シーアイ・パートナーズの顧問として就任した山本博司氏の紹介なども通じて、大阪府内で、障がい者が活躍出来る共生社会目指し、連携しあう事も確認しました。
また大阪府に要望されている26項目の要望書も参考資料としていただきました。
福祉の心と経営の両方の観点を持たれている小田理事長の熱い思いと行動に強く共感しました。
懇談後は施設内外も見学。夕方でしたのでご利用者の活動風景は拝見できませんでしたが、とても良い設備と住居環境が整えられており、またフワンベーカリーもフランチャイズとしてA型事業所として運営されていました。

【大阪手をつなぐ育成会】
社会福祉法人大阪手をつなぐ育成会は、知的障害のある人々が地域社会で自立した生活を送り、共生社会を実現することを目的とした社会福祉法人です。法人理念として「みんなが みんなと みんなへ 手をつなぐ」を掲げ、障害者と家族、地域住民のつながりを重視した支援を展開しています。本組織は大阪府内5地域(箕面市、大東市、大阪市、松原市、堺市)で約30の障害福祉サービスを提供し、2025年9月時点で職員480名を擁しています。

設立の経緯

1955年(昭和30年)、知的障害のある子どもの幸せを願う3人の母親が、同じ悩みを抱える親たちに呼びかけ、大阪で初めての「親の会」を設立しました。これは、障害児の育成支援を求める草の根的な運動として始まり、当事者家族のネットワーク形成が基盤となりました。 当時の社会では知的障害者に対する支援制度が不十分であったため、親たちの自発的な活動が組織の原動力となりました。1959年(昭和34年)11月2日、大阪府内の小さな会が統合され、「大阪精神薄弱児育成協会」として本格的な組織化が図られ、社会福祉法人としての認可を受けました。 これにより、障害者の福祉向上をミッションとする正式な活動が可能となりました。

歴史的展開と主な里程標

組織は、名称変更、施設開設・拡大、制度対応を通じて成長を遂げてきました。以下に主な経緯を年代ごとにまとめます。

  • 1960年代:法人化と基盤確立 1962年(昭和37年)7月2日、社会福祉法人として認可。1966年(昭和41年)に「大阪精神薄弱者育成会」へ名称変更し、府立施設の運営委託を開始。機関紙「太陽の子」の創刊(1960年)により情報発信を強化しました。
  • 1970年代:施設寄贈と制度整備 大阪市・府からの事業委託拡大や、コロニーへの設備寄贈を実施。1973年(昭和48年)の大阪府療育手帳制度発足など、支援制度の進展に対応しました。
  • 1980年代:施設開設と国際意識の高まり 1987年(昭和62年)に天美育成寮と東成育成園を開設。国際障害者年(1981年)や国連障害者の十年(1983年)を背景に、権利擁護活動を推進。グループホーム「松原第1ホーム」(1989年)の開設により、在宅支援を拡大しました。
  • 1990年代:名称変更と再編 1995年(平成7年)に「大阪知的障害者育成会」へ変更(全国レベルで「全日本手をつなぐ育成会」へ)。東成育成園などの施設を大阪市側へ譲渡し、組織再編を実施。1999年(平成11年)に大阪ともだちの会(本人活動)を発足させ、当事者参加を促進しました。
  • 2000年代:事業多角化と名称変更 2000年(平成12年)に大東園・白鷺園を移管。2006年(平成18年)の障害者自立支援法施行に対応し、就労継続支援B型などの新事業を開始。2008年(平成20年)に現在の「大阪手をつなぐ育成会」へ名称変更し、「手をつなぐ」精神を強調。2009年(平成21年)に設立50周年を迎えました。
  • 2010年代:自立支援強化と施設転換 2014年(平成26年)に「ふろむわん=つなgood計画」を策定し、つなgoodホールを開設。就労・生活支援施設を拡充(例: 支援センターねぎぼうず、2016年)。2018年(平成30年)に箕面育成園をグループホームへ転換、就労支援統括センターみぃーんを開所。2019年(令和元年)に設立60周年を記念しました。
  • 2020年代初期:継続と適応 2020年(令和2年)に法人所在地を大東市末広町へ移転。新型コロナウイルス禍下でも支援を継続し、2021年以降は障害者総合支援法の改正や差別解消法の施行に対応した事業を推進。施設の効率化(廃止・統合)を進め、地域生活支援を強化しています。

2025年までの主な活動

組織の活動は、生活支援、就労支援、相談支援の3本柱で構成され、障害者の自立と社会参加を促進しています。主なサービスは以下の通りです。

  • 生活支援: グループホーム(例: ホームズさくら、ホームズしらさぎ)、短期入所、生活介護(支援センター中、ねぎぼうず)、自立訓練(生活訓練)、居宅介護・移動支援(ヘルパーステーションなか)、地域活動支援センターなど。地域での「自分らしい生活」を支援します。
  • 就労支援: 就労移行支援・継続支援A型・B型(支援センターさくら、しらさぎ)、就業・生活支援センター(みぃーん)、ジョブコーチ派遣。カフェベーカリー(スワンカフェ&ベーカリー)での実践訓練も実施。
  • 相談支援: 指定相談支援事業、更生相談、地域移行・定着支援、社会政策研究所を通じた調査研究・施策提言。本人活動(大阪ともだちの会)のサポートや親の会活動も担います。

2021年から2025年にかけては、制度変更への対応と啓発活動が活発化しました。公開セミナー「わかりたすくセミナー」を定期開催し、児童支援の変化(2025年2月18日)、卒業後進路(2025年6月23日)、コミュニケーション支援(2025年9月25日)などのテーマで最新情報を提供。 また、2025年3月11日に就労支援啓発セミナーを実施し、9月11日にオープンセミナーを開催するなど、親・家族向けの情報共有を継続しています。 さらに、知的障害者向けわかりやすい母子健康手帳の制作協力(科研費助成)や、年間行事予定(ボウリング、スポーツフェスタ)を通じて、心の成長と余暇活動を支援。全国手をつなぐ育成会連合会との連携も維持し、政策提言や地域福祉向上に寄与しています。2025年大阪・関西万博では職員がボランティアスタッフとして、障害者の文化芸術国際フェスティバルの運営にも携わっていました。

これらの活動を通じて、組織は障害者の権利擁護と地域共生を推進し、持続的な発展を続けています。詳細は公式ウェブサイト(https://www.osaka-ikuseikai.or.jp/)をご参照ください。


以下は1時間30分に渉る4名での懇談内容を要約しました。

はじめに:大阪の障害福祉の未来を拓くための対話

この記録は、大阪府の障害福祉が直面する課題と今後の展望について、異なる立場から深く関わる四者による懇談をまとめたものである。
一方の主役は、大阪手をつなぐ育成会の小田多佳子理事長。長年にわたり障害のある子を持つ親の会活動と、社会福祉法人の経営という二つの重責を担い、現場の最前線で奮闘してきた人物である。NPO法人の立ち上げ経験も持ち、福祉の心と経営の視点を併せ持つ。
もう一方の主役は、前参議院議員の山本博司氏。議員時代から障害福祉分野に深くコミットし、数々の制度設計に関わってきた政策の専門家だ。現在は、障害福祉分野で革新的な取り組みを進める株式会社CIパートナーズの顧問も務める。
そして、そのCIパートナーズから専務の本田氏と、輝HIKARIの金子代表理事が同席した。両者ともに障害のある子を持つ父親であり、従来の福祉の枠組みにとらわれないビジネス的なアプローチで社会課題の解決を目指す、新世代のリーダーである。
懇談は、小田理事長が抱える喫緊の課題である施設の建て替え問題から始まり、株式会社CIパートナーズの革新的な取り組みの紹介、そして大阪府全体の大きなテーマである障害者の工賃向上と「障害者優先調達推進法」の活用へと展開していく。それぞれの立場からの切実な思い、鋭い問題提起、そして未来への希望が交錯する、示唆に富んだ対話の全容を時系列で追う。


第一部:現場からの叫び - 堺市「しらさぎ厚生施設」建て替え問題の深刻な実態
懇談は、山本氏と小田理事長の和やかな挨拶から始まった。小田理事長は、日頃から公明党の山本かなえ氏に非常にお世話になっていると感謝を述べ、会話はすぐに具体的な課題へと移行する。その核心にあったのが、小田理事長が運営する社会福祉法人が堺市で抱える「しらさぎ厚生施設」の建て替え問題であった。

背景:歴史的経緯と土地の制約
小田理事長の説明によれば、この施設は元々、大阪府が設置したもので、措置制度の時代に建てられた歴史を持つ。その後、いわゆる民間移譲の流れの中で、小田理事長の法人が土地・建物を無償で譲渡されたという経緯がある。場所は堺市の中心部、白鷺公園や小学校に隣接する非常に立地の良い広大な土地だ。
しかし、ここには大きな制約が二つ存在する。一つは、建物が昭和50年頃の建築で老朽化が著しく、耐震性に大きな問題はないものの、雨漏りや電気系統の故障が頻発し、修繕費がかさみ続けていること。トイレもいまだに和式であり、現代の福祉施設の水準からはかけ離れている。
もう一つの、そしてより深刻な制約は、この土地が大阪府から譲渡された際に「障害福祉サービス以外の用途には使ってはならない」という厳しい縛りがかけられていることだ。このため、例えば収益性の高い事業を併設して建て替え費用を捻出するといった選択肢が完全に閉ざされている。小田理事長は、「今の障害福祉サービスの収入だけで、この規模の建物を建て替えるのは絶対に無理なんです」と、その構造的な困難さを訴えた。

堺市との2年間にわたる交渉と挫折
この状況を打開すべく、小田理事長は堺市に対し、施設の建て替えに関する補助を2年間にわたって粘り強く要請してきた。その際、単なる施設の更新に留まらない、社会的な価値を付加した提案も行った。それは、広大な土地と避難所にも指定されている立地を活かし、「障害者のための防災拠点」として整備するという構想だ。災害時、在宅の障害者が避難できる拠点として機能させたい。通所施設であれば日中は利用者がいないため、災害時に避難者を受け入れることが可能であり、ショートステイ機能も併設できると、具体的な活用法を提示した。
しかし、堺市の反応は冷ややかだった。市の担当者は「グループホームの整備なら補助金を出せるが、通所施設の建て替えは認められない」「B型事業所は市内にもう沢山あるので、ここだけを特別扱いするわけにはいかない」という一点張りで、2年間の交渉は完全に暗礁に乗り上げた。
小田理事長は、「もしこの土地が不要だと言って大阪府に返還したら、次に障害者のために使われる保証はどこにもない。堺のど真ん中のこんなに良い土地を、私たちの代で手放してしまい、障害のある方々から大事な場所を奪ってしまったと言われることには耐えられない」と、土地を守り抜くことへの強い使命感を滲ませた。

一筋の光と、いまだ晴れぬ霧
事態が膠着する中、公明党の市議団が視察に訪れ、問題の重要性を理解。団長自らが担当課に働きかけるなど、政治的な後押しも始まった。一時は「前向きに検討する」との返答も得られ、令和7年度の予算化に期待が高まった。
ところが、市からは全く想定外の返答がもたらされる。「あの法人はグループホームを建てると言っているので、そちらで補助金を出す」という、話のすり替えとも取れる内容だったのだ。小田理事長は、広大な敷地の一部を活用してグループホームを建設する計画も並行して進めていたが、それはあくまで通所施設の建て替えとは別の話であった。この認識の齟齬が、さらなる混乱を招いた。
最終的に、市の担当課長が施設を訪れ、「大変申し訳ないが、この話は一切無理です」と、事実上のゼロ回答を突きつけられた。万策尽きたかに見えたその時、再び事態を動かしたのが、冒頭で名前の挙がった山本かなえ氏だった。山本かなえ氏の仲介で市議団長と市の部長クラスが改めて話し合いの場を持ち、その結果、市側が「申し訳ない。考え直すので1年の猶予をください」と態度を軟化させたのである。
小田理事長は、「もう一度、まな板の上に乗せてくれるというのであれば1年待ちます」と返答し、現在(懇談時点)はその「1年待ち」の状態にあるという。しかし、市の福祉局長が財政出身で緊縮財政を志向する人物であることにも触れ、前途が依然として楽観できない状況であることを示唆した。山本氏は、「これはしっかり状況を把握しないといけないですね」と応じ、施設整備に関する国の予算(補正予算など)活用の可能性に言及し、地域の公明党議員団と連携して働きかけていく姿勢を示した。


第二部:新たな風 - ビジネスの視点で福祉を変えるCIパートナーズ
現場の切実な課題が共有された後、山本氏は話題を転じ、自身が顧問を務める株式会社CIパートナーズを紹介した。これは、従来の福祉法人の発想とは一線を画す、新たなプレーヤーの登場を告げるものだった。

ミッション:「障害者という言葉をこの国からなくす」
本田専務は、まず会社の設立理念から語り始めた。彼らのミッションは「障害者という言葉をこの国からなくす」こと。これは、知的障害があるからこの仕事しかできない、自閉症だからこれは無理だ、といった社会側が作り出した壁を取り払い、一人ひとりの可能性が最大限に輝く社会を創造するという強い意志の表れである。そして、その原動力は「親だから」という、極めてシンプルでパワフルな動機にあると説明した。
CIパートナーズの大きな特徴は、その経営陣の多様性にある。福祉畑の専門家だけでなく、代表の飯泉氏は大手回転寿司チェーンの障害者雇用担当出身、さらに役員にはゴールドマン・サックスのような外資系金融機関出身者も名を連ねる。「福祉の会社なのになぜ?」という問いに対し、本田専務は「福祉の論理だけでは世の中を変えることは難しい。社会の仕組みを変えるためには、経済の論理を理解し、社会に認められる強い企業体になる必要がある」と断言した。彼らは障害福祉の分野で「上場」を目指しており、それは金儲けのためではなく、社会的なインパクトを最大化するための手段だと位置づけている。

小田理事長は、このメンバー構成を見て「私の欲しい人材がここにいる。福祉の現場はビジネスの視点が弱く、職員に『売上』という言葉を使っただけで嫌な顔をされる。でも給料は欲しいと言う。言葉が通じないんです」と、深く頷きながら自らの組織が抱える課題を吐露した。

事業展開:M&Aと「医療・教育・企業」との連携

CIパートナーズは2015年の設立から約10年で、児童発達支援から就労移行支援まで37の事業所を展開するまでに急成長した。その手法の特徴は、積極的なM&A(企業の合併・買収)にある。ただし、それは単なる事業拡大ではない。「福祉は地域性が非常に重要。マクドナルドのように画一的なサービスを展開するのではなく、地域に根差して頑張ってきた思いのある法人とパートナーシップを組み、共に未来を創っていきたい」と本田専務は語る。懇談の中で、堺市で活動する社会福祉士事務所「ポイントt」もCIパートナーズのグループに加わっていることが判明し、小田理事長がその代表者をよく知っていることから、縁の深さに驚きの声が上がった。

さらに、彼らが重視するのが「医療」「教育」「企業」という三つのセクターとの連携だ。

  • 医療連携:診断して終わりではなく、診断した医療機関が療育施設を運営するなど、診断から療育までをシームレスに繋ぐ仕組みを構築。
  • 教育連携:学校現場で使われている「ポジティブ行動支援」などの手法を福祉施設でも導入し、教育と福祉の「言語」を統一することで、子どもたちへの支援の一貫性を高める。
  • 企業連携:物流センターの中に就労移行支援事業所を設置し、その企業で働くための専門スキルを身につける「企業内専門学校」のようなモデルを構築。出口(就労)を明確にした支援を展開する。

当事者としての原点:父親たちのネットワーク

続いて、輝HIKARIの金子代表理事が自らの経歴を語った。元々はシステムエンジニアで、福祉とは無縁の世界にいたが、息子が発達障害と診断されたことを機に人生が大きく転換する。彼は、障害のある子の育児において母親が全てを背負い込み、父親が「仕事」を理由に距離を置きがちな現状に疑問を抱いた。「社会経験が豊富な父親こそ、子どもの将来のために動くべきだ」と考え、障害のある子の父親たちの全国ネットワーク「おやじりんく」を立ち上げた。この活動を通じて、同じく障害のある子を持つ本田専務と出会い、現在の輝HIKARIの活動へと通ずるものも多々あり、山本博司氏がCIパートナーズの顧問へ就任した結果にも繋がっていったという。

金子氏は「ビジネスライクに見えるかもしれないが、私たちが目指しているのは、親がいなくなった後も子どもたちが安心して暮らせる居場所を作ること。そのためには、稼ぐことの重要性を理解し、持続可能な組織を作らなければならない」と、その信念を語った。山本氏との出会いも13年前に遡り、全国の育成会活動にも同行するなど、政策提言にも繋がる地道な活動を続けてきた経験が、現在の事業の礎となっていることが明かされた。


第三部:大阪全体の課題へ - 工賃向上と「障害者優先調達推進法」の壁

CIパートナーズの革新的な取り組みが紹介された後、山本氏は議論をより大きな視点、すなわち大阪府全体の障害者福祉の課題へと引き戻した。その中心に据えられたのが、「障害者の工賃」の問題である。

問題提起:なぜ大阪の工賃は低いのか

山本氏は、「大阪の工賃はまだ低いと聞いている」と切り出し、自身が議員時代に成立に尽力した「障害者優先調達推進法」(2013年施行)の活用が鍵になると指摘した。この法律は、国や地方自治体が物品やサービスを調達する際に、障害者就労施設等に優先的に発注することを促すものである。

山本氏は成功事例として、自身の出身地である四国の徳島県を挙げた。徳島県では、この法律を活用した「共同受注」の仕組みが非常にうまく機能しており、県内のB型事業所の平均工賃は月額2万9000円に達している。特に中核的な役割を担う施設では、月額9万5000円という高い工賃を実現しているという。徳島県全体では、67団体で年間1億6000万円もの発注が県から行われている。

この成功の背景には、県が率先して発注先を探し、複数の事業所が連携して大口の仕事を受注できる「共同受注窓口」を設置・運営していることがある。山本氏は、こうした仕組みが大阪でどのようになっているのか、と問いかけた。

大阪の実態:見えない「共同受注窓口」

この問いに対し、懇談の場では明確な答えが出なかった。小田理事長や同席した職員も、大阪府や各市町村に徳島県のような明確な「共同受注窓口」が存在するのか、確信が持てない様子だった。

小田理事長からは、大阪に存在する二つの関連組織についての情報が提供された。

一つは、「エル・チャレンジ(大阪知的障害者雇用促進建物サービス事業協同組合)」。これは、障害者優先調達推進法が制定されるよりずっと前の1999年に設立された歴史ある協同組合で、大阪府などからビルメンテナンスや公園清掃といった清掃業務を大規模に受注し、組合員である福祉事業所に仕事を再配分している。小田理事長の法人も組合員として清掃業務を請け負っているが、これはあくまで清掃業務に特化した仕組みであり、物品製作など多様な業務を扱う共同受注窓口とは性質が異なる。

もう一つは、授産製品を扱う仕組みだ。大阪府庁内には「こさえたん」という授産品ショップがある。また、小田理事長が活動の拠点とする堺市には「授産・at・さかい」という組織があり、市内の事業所が作った製品を集めて販売する店舗を運営している。この「授産・at・さかい」は、市のイベントで配布する記念品製作などの際に、複数の事業所に取りまとめ役として発注を行うなど、共同受注窓口に近い機能を果たしているように見える。

しかし、これらの組織が「障害者優先調達推進法」に基づいて行政から戦略的に発注を受けているのか、それとも従来の福祉的な取り組みの延長線上で運営されているのか、その実態は判然としなかった。金子氏が指摘したように、行政側から見たときに、どこが正式な「共同受注窓口」なのかが一元化されておらず、結果として法律が持つポテンシャルを十分に引き出せていない可能性が浮き彫りになった。

山本氏は、「それぞれの市町村は法律に基づいて調達目標を立てているはず。その実績をチェックし、工賃向上に繋がる流れを意図的に作っていく必要がある」と述べ、今後、行政や地域の議員団と連携してこの問題に取り組んでいく重要性を強調した。


第四部:親としての思い、そして未来へ

懇談の終盤、話題は再び個々の経験や親としての思いへと回帰した。制度や経営の議論の根底にある、人間的な情熱が語られた。

小田理事長は、自らが31歳になる息子を育ててきた道のりを振り返った。夫を早くに亡くし、シングルマザーとして多動の息子を育てる中で、社会の無理解や偏見に数多く直面したという。「知的障害あります」という名札を息子につけて歩けば、「かわいそうに」「外に連れ出すな」と心ない言葉を浴びせられた。障害児を産んだら仕事をやめるのが当たり前とされ、築き上げてきたキャリアを全て諦めざるを得なかった時代だった。

「私の夢は二つでした。一つは、お母さんたちがお金のためだけでなく、自分のキャリアのために働き続けられる社会になること。もう一つは、高齢になった私が息子のプール介助をするのではなく、ヘルパーさんと一緒に息子がプールに行けるような社会になることでした」。

そして、彼女は力強くこう続けた。「今、その夢はどちらも叶いました。ヘルプマークは当たり前になり、ガイドヘルパー制度もできた。でも、これは誰かが上から与えてくれたものではない。私たちが願い、声を上げ、手をつないで歩いてきたからこそ実現したんです。そのことを、若い世代に伝えていかなければならない」。

この言葉は、同席した本田氏や金子氏が「親だから」という思いで、各々の法人を立ち上げたことと深く共鳴した。時代は変われど、子を思う親の気持ちが社会を動かす原動力であることに変わりはない。かつては母親たちが中心となって担ってきたその役割を、これからは父親たちも、そしてビジネスの世界も巻き込みながら、新しい形で継承していく。そんな未来への展望が、懇談の参加者全員に共有された瞬間だった。

結び:課題の共有から、連携への第一歩へ

この約1時間30分にわたる懇談は、大阪の障害福祉が抱える複合的な課題を浮き彫りにした。堺市の「しらさぎ厚生施設」建て替え問題に見られるような、行政の縦割りや硬直化した制度運用の壁。そして、「障害者優先調達推進法」がありながらも、工賃向上に結びついていない大阪府全体の構造的な問題。

しかし、同時にそれは、未来への確かな希望を示す場でもあった。長年の経験と人脈を持つ育成会の小田理事長、政策と現場を繋ぐ山本氏、そしてビジネスの力で社会変革を目指す異なる強みを持つアクターが一堂に会したことの意義は大きい。

懇談は、具体的な解決策を即座に導き出すものではなかったかもしれない。だが、「しらさぎ」の問題を行政に働きかけていくこと、大阪における優先調達の実態を調査し、共同受注の仕組みを再構築していくことなど、今後の具体的なアクションに繋がる重要な問題意識が共有された。

何よりも、福祉の心、政策の知見、そして経営の視点という三つの要素が連携することの重要性が確認されたことが最大の成果であった。この日の対話を第一歩として、彼らの連携が深まっていくとき、大阪の障害福祉は新たなステージへと進むことになるだろう。現場の切実な声と、社会を変えようとする新しい力が融合した先に、誰もが自分らしく輝ける社会の実現が待っている。