輝HIKARI志木の開所への思い[11年が経って]
1985年8月12日、日本航空123便の墜落事故から38年が経ちました。この悲痛な事故で尊い命を失われた520名の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
事故によって突然大切な家族を失われたご遺族の皆様に対し、深い哀悼の意を表すとともに、心からお悔やみ申し上げます。長い年月が過ぎても、癒えることのない悲しみと喪失感に苦しんでおられることと思います。
ご遺族の皆様におかれましては、どうか少しずつでも心の平安を取り戻されますよう、そして故人の方々の想いを胸に、前を向いて歩んでいかれますよう、心よりお祈り申し上げます。
さて、2013年9月の1日埼玉県志木市にて、当団体が初の放課後等デイサービス輝HIKARI志木を開所いたしました。
1施設目は「我が子らの居場所づくり」として、マンションの一室を借り上げて、自らの手で施設内の設備を整えました。
この内容は2013年7月8日にNHKの首都圏ネットワークでも取り上げられております。
そして11年前の今日は、夏休みであったにもかかわらず、私たち団体理事は施設となる予定のマンションの1室に集まり、床のマット引きや机の搬入、電気設備の工事、それ以外に、レイアウトを整えたりと様々な準備を行いました。
その時に我が子を一緒に連れて「これから君たちの居場所になるんだよ」ということで、一緒に施設準備のお手伝いをさせました。その時の1枚の写真がこちらです。
とても懐かしい思い出の1枚です
今、この子たちは、今年の4月から社会人となって、障害者雇用として働いております
この時には「これから先どのような人生になっていくのか?」と、とても不安でしたが、日々1日1日の積み重ねごとに、子どもたちも私たちも、そして法人も成長し、今では放課後等デイサービス4施設、児童発達支援事業所2施設、相談支援事業所1施設を行う事業規模となりました
これからも当団体の理念「ひかり輝き、住み慣れたまち自分らしく生きる」を胸に、地元の障害のある方、発達に課題のある方、生活に生きづらさを抱えている方々のために尽力して参ります。
特定非営利活動法人輝HIKARI 代表理事 金子訓隆